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イチローのオノレはどちら

2010年09月28日 | 雑記帳
 イチローが10年連続200本安打を達成した翌日のスポーツ新聞に、ある記事が載った。
 イチローの偉業について作家伊集院静が寄稿したものである。
 10段ほどの結構長い文章だが、その終わり方がさすがに上手い。格好いい。

 昔、日本にも彼と似ている伝説を持つ剣豪がいて、無敵のまま生涯を終えた。その剣豪もまた持っていたのは一点、己にしかできない戦いだった。おめでとう、イチロー。君の苦難の未来に栄光あれ。
 
 この寄稿文のタイトルは「オノレという名の苦難」。

 なるほど、敵はもはや自分の中にしかいないか…。

 ふと、「オノレ」という言葉が気になった。
 これにはまあ二つの意味、つまり「自分」と「他者(に向けて言う時)」があるなあと思ったのが、一応電子辞書で調べてみた。
 そしたら、なんと辞典による大きな?違いを発見してしまった。

 広辞苑と明鏡では、①「名詞」→自分  ②「代名詞」→目下の相手を言う 
という点ではほぼ同じであるが、次の語意「感動詞」の箇所がこうなっているのである。

 【広辞苑】物事に激して自ら励ます時に発する声
      「―――、何のこれしき」
 【明鏡】くやしいときに相手をののしって発する語
      「―――、今にみていろ」
 
 確かに用例の設定も微妙に違うのだが、感動詞として発する点では同じ、それをどう解釈して意味づけたのか。
 「明鏡」にある「相手」とは人間でない場合も十分考えられるだろう。
 その意味では言葉を伝える対象、いや方向の違いが語意に影響を与えたか。

 広辞苑は内向的、明鏡は外向的…少し単純すぎるか。

 激情は内向させた方が何かを達成するエネルギーに転化しやすいような気がする。

 イチローのオノレは、広辞苑でしょ?