イチローが10年連続200本安打を達成した翌日のスポーツ新聞に、ある記事が載った。
イチローの偉業について作家伊集院静が寄稿したものである。
10段ほどの結構長い文章だが、その終わり方がさすがに上手い。格好いい。
昔、日本にも彼と似ている伝説を持つ剣豪がいて、無敵のまま生涯を終えた。その剣豪もまた持っていたのは一点、己にしかできない戦いだった。おめでとう、イチロー。君の苦難の未来に栄光あれ。
この寄稿文のタイトルは「オノレという名の苦難」。
なるほど、敵はもはや自分の中にしかいないか…。
ふと、「オノレ」という言葉が気になった。
これにはまあ二つの意味、つまり「自分」と「他者(に向けて言う時)」があるなあと思ったのが、一応電子辞書で調べてみた。
そしたら、なんと辞典による大きな?違いを発見してしまった。
広辞苑と明鏡では、①「名詞」→自分 ②「代名詞」→目下の相手を言う
という点ではほぼ同じであるが、次の語意「感動詞」の箇所がこうなっているのである。
【広辞苑】物事に激して自ら励ます時に発する声
「―――、何のこれしき」
【明鏡】くやしいときに相手をののしって発する語
「―――、今にみていろ」
確かに用例の設定も微妙に違うのだが、感動詞として発する点では同じ、それをどう解釈して意味づけたのか。
「明鏡」にある「相手」とは人間でない場合も十分考えられるだろう。
その意味では言葉を伝える対象、いや方向の違いが語意に影響を与えたか。
広辞苑は内向的、明鏡は外向的…少し単純すぎるか。
激情は内向させた方が何かを達成するエネルギーに転化しやすいような気がする。
イチローのオノレは、広辞苑でしょ?
イチローの偉業について作家伊集院静が寄稿したものである。
10段ほどの結構長い文章だが、その終わり方がさすがに上手い。格好いい。
昔、日本にも彼と似ている伝説を持つ剣豪がいて、無敵のまま生涯を終えた。その剣豪もまた持っていたのは一点、己にしかできない戦いだった。おめでとう、イチロー。君の苦難の未来に栄光あれ。
この寄稿文のタイトルは「オノレという名の苦難」。
なるほど、敵はもはや自分の中にしかいないか…。
ふと、「オノレ」という言葉が気になった。
これにはまあ二つの意味、つまり「自分」と「他者(に向けて言う時)」があるなあと思ったのが、一応電子辞書で調べてみた。
そしたら、なんと辞典による大きな?違いを発見してしまった。
広辞苑と明鏡では、①「名詞」→自分 ②「代名詞」→目下の相手を言う
という点ではほぼ同じであるが、次の語意「感動詞」の箇所がこうなっているのである。
【広辞苑】物事に激して自ら励ます時に発する声
「―――、何のこれしき」
【明鏡】くやしいときに相手をののしって発する語
「―――、今にみていろ」
確かに用例の設定も微妙に違うのだが、感動詞として発する点では同じ、それをどう解釈して意味づけたのか。
「明鏡」にある「相手」とは人間でない場合も十分考えられるだろう。
その意味では言葉を伝える対象、いや方向の違いが語意に影響を与えたか。
広辞苑は内向的、明鏡は外向的…少し単純すぎるか。
激情は内向させた方が何かを達成するエネルギーに転化しやすいような気がする。
イチローのオノレは、広辞苑でしょ?