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心の筆使いという妄想

2010年09月17日 | 雑記帳
 心の筆使い

 こんなふうに書かれると、コトバ蒐集癖というか妄想癖というか、そんな体質の自分は思わず立ち止まってしまう。

 気遣いとか心遣いと同じ、と言ってしまえばそれまでだが、そこに「筆」を入れたことで、なんとイメージが広がったではないか。
 筆を使うように心を使いこなすというような感覚だろうか。

 さにあらず…実は、「心」という字を毛筆で書く場合の、点画のつながりを意識させたいという意味で書かれた言葉なのである。
 昨日、本当に久しぶりに書写の研究授業を参観した。その学習過程の中で指導した先生が、カードに書いて黒板に貼りつけたものだった。
 つまりは、子どもに「はねやはらいの向き」に着目させたいがための言葉なのだが、変な参観者の一人は違う方向へ心がはねてしまったとでもいおうか…。

 それにしても、この妄想、なかなかいいと思いませんか。

 筆の特徴としてある、太くも細くも書ける、強さ、弱さ、勢いを自由に表現できる、などは「心」と重ねられる。
 さらに、点画の長短、方向、接し方、交わり方、形を整えること、配列などという指導上の言葉も、何か「心の使い方」として十分通用するような気もする。

 ここまで書いて気がつくのだが、これも技術が伴わなければ上手に使えないのだよ、という真実。

 そしてまた、上手よりもっと大事なことは、丁寧に、気持ちを込めて行うことで、その思いは伝わるはずだよ、という信念めいた経験則。

 ペンや鉛筆だとあまりぴんとこないが、筆に感じられる振幅、緩急という感覚が心に近いから、そんな想像を働かせたのだと思う。

 あなたの今日の心の筆使いはどうでしたか。