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「だいじょうぶ」と声かけながら

2012年08月28日 | 読書
 『だいじょうぶ』(鎌田實・水谷修  日本評論社)

 著名な二人の往復書簡(「好感日記」と題された雑誌連載と対談が収められている)である。

 当然という言い方がふさわしいかどうかわからないが、自らの働きかけと体験の豊富さゆえ名の知れた二人であるから、多くの心揺さぶられるエピソードが書かれてある。
 そうした体験をもとにして、現代社会に対する痛烈なメッセージを放っている本だ。

 そのやさしさ、暖かさに多くの人が共感し、社会に向けての動きとなっているものも少なくないが、今一つ国を動かす力となり得ていないのでは,と感じるのは私だけだろうか。
 どこか道筋がつながらない箇所があるのか。または,そういった願いへの求心力がまだ弱いのか。

 ともあれ、私が個人的に心を留めたエピソードが二つある。

 水谷氏が夜間高校に勤務して「12年間必ずやったこと」は、4月に教科担任を集めて、中間試験の問題を早く作って見せてくれと頼むことだったという。
 ツッパリや不登校の子どもたちに80点以上の点数をとらせるため、答えを覚えさせていくのに必要だったからだ。
 そのように作られた形であっても、自信や自己肯定感をつけるきっかけにはなる。
 この実態が示すように構造化してしまっている問題が、なぜもっと早く解決できないのか。今更のように強く感じる。

 鎌田氏は秋田県の農林関係の学校で、木や森好きの子どもたちの仕事がないことを悔しがった。
 ここには雇用、経済、そして政治という大きな問題が横たわるが、現実にそうした問題に正対していく発想が、やはりこの国にはないのかなと思わせる。
 いくら、キャリア教育が大きく叫ばれても、その果てにはビジネス的な要素の色だけが濃くなっていると思うのは、私だけではないだろう。
 多様な希望を叶える社会づくりが薄っぺらではどうしようもない。

 「だいじょうぶ」と身近な人に声をかけるのは簡単だ。
 いや、声をかけるだけなら簡単だ。
 その声に自信を込めて言えるかどうか。
 その自信の範囲をどこに定めて、口を開くか。

 考えれば考えるほど、声は遠ざかっていく。

 いやそうではなくて、言葉によって、声によって、力を引き戻すんだよ。

 「だいじょうぶ」と他者に声かけながら、その声によって自分を励ましているのだな、きっと…。
 この二人もそうじゃないだろうか。