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逆手にとって語りかけられるか

2012年08月30日 | 雑記帳
 私の住む県では、今まで業界2位であるRが圧倒的に多かった。今月半ば、学区内にはじめて出来た店もRだった。

 その次は数年前から業界3位のFが追いかける展開だと思う。

 ところが最近(今日も2軒)、業界最大手であるSが相次いで開店し、こんな人口減の進むところでも商売が成り立つものか、いらない心配がわくほどである。

 なんのことはないコンビニ出店である。

 いまさらその広がりを話題にするほどでもない。
 心配すべきはその店や組織の盛衰ではなく、私たちの心に広がっていく「コンビニ化」という意識である。

 つまりは「楽」「早い」「便利」を実現している小売の広がりは、私たちに別の要素に対しても、そんな生活意識を植えつけている。

 たとえば「食のコンビニ化」「医療のコンビニ化」などという言葉は見かけた気がする。
 そして、囁かれだした?(いや、もうすでにどこかで出ているはずだが)「教育のコンビニ化」である。

 消費者マインドの強い保護者、そして子どもの存在はいたる地方で見られるようになった。
 それはまた、より個人のニーズに応える方向、つまり「楽・早・便」が大きな要素として出されてくるのではないか、と危惧する。

 「もっと楽にできることはありませんか…早く対処してください…これは全然便利ではないので困ります、もう少し快適にして…」そういう声に、一つ一つ今自分がしていることの意味づけ、価値づけを語らなければならなくなってきているのかもしれない。

 教育に携わる人間ならば、多くはそうした傾向には首を傾げるだろう。
 しかしまた、現実として私たちも、仕事を管理している立場から、スピード、成果、評価…に追い立てられている状況であることは否定できないし、それは外部からの声と無関係なわけではない。

 八方ふさがりのような状況でも、少なくともこのことは、様々な機会を通じて、何度でも、繰り返し言っておくべき、確かめておくべきだろう。

 楽で、はやくて、便利なことで、子どもはしっかりと育ちますか?

 コンビニの出店拡大による生活の変化を認めながら、それを逆手にとって語りかけていくしたたかさも必要だろう。