すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

遠くに掲げられている,いい絵

2012年08月31日 | 読書
 『総合教育技術』(小学館)の今月号は読みごたえがあった。
 「学びの共同体」の特集や「大津市いじめ自殺事件」の特別企画など教育情報としてタイムリーなものもそうだったが, 「これからの教育のカタチを考える」と題された特別提言で、ICT教育に関する論考は,特に考えさせられた。

 大岩元氏(慶應義塾大学名誉教授)は、日本のIT教育の目標について、「道具(ソフト)を使いこなす教育から、道具を創り出す教育へ」の転換を主張している。
 ITの本質は何かと問いかけ、利用するという具体性を偏重してきた我が国の教育の在り方を批判し、プログラミングを教える教育への転換を熱く語っている。

 戸塚滝登氏(サイエンス・ライター)は、紹介によると我が国のコンピュータ教育のパイオニア教師の一人だそうである。戦後日本の教育現代化の「風」について紐解きながら、現在の閉塞状況を「デジタルスクール」の創出という形で打開したいと願っている。
 過去の反省点、つまりは上からの強制ではなく新しい情報教育の創造を目指している。

 描くイメージが不鮮明な点もあるが、概ね理解できる。
 私も小・中の教育課程はその点を踏まえて改善されるべきだと考えている。
 ところが、学校の現場から具体的に語りだそうとしようとすれば、とたんにトーンダウンをせざるをえない現状がある。

 確かに5年前と比べたとき、職員用パソコン配置の普及、大型ディスプレイの設置など大きな進展といえよう。
 だが、肝心の利用促進が思うに任せない。本校の例であるが、似たような周辺の学校も多いはずだ。
 具体的には教室でのネット利用制限、ディスプレイの数・規格の不足があり、それは決定的ですらある。
 これらがセキュリティや予算の問題と絡むことは百も承知である。ゆえに現状では要望を出してもなかなか理解を得られない。つまり、行政における理解者が圧倒的に不足している。

 社会におけるデジタルの浸透をわかっていても、学校のなかは取り残されている。
 そして、こういうものかとつい諦めがちになっていく私のような弱腰の者も増える。
 実践したいと思ってもなかなかできないから、ちょっと遠ざかっているうちに、周囲はどんどん進歩していて、自ずと消極的になり、関心も薄くなっていく気配すらある。
 いったん引いた腰はなかなかもどらない。

 デジタルの進化は、その速度が圧倒的なだけに、逆に距離感が広がっていく。
 だから雑誌の提言は、今のところ、いい絵だとわかってもずいぶんと遠い処にある感じがする。