すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

こんなふうに言いたかったんだ

2012年08月15日 | 雑記帳
 昨日,三十年前に受け持った子たちの厄払いの会に招かれ,気づいたことがあった。

 九年前のその会に参加してなかった子(そう呼ぶのも変だか)も何人か出席していて,なかなか顔だけからはぱっと名前が浮かばなかった。
 もちろん名乗ってすぐに「あああ」ということになるのだが,ずいぶんと変化しているのが当然で,ぴんとこない子もいる。

 ところが話し始めてみると,「おっ,この表情は…」とかつて一緒に時を過ごした子どもであることが,ぐうんと大きくよみがえる気がする。

 その目つきや口の動かし方,笑い方,うなずき方…。
 何かを表現するとき,その人そのものが現れるといった当然といえば当然のことを今更ながら感じた。

 受け持った学級の子であれば,おそらく今でも筆跡を見れば全員を言い当てられるほど,毎日毎日「書かせた」学級である。それを愚直に見続けた二年間だった。

 今となっては遠く感じる自実践だが,そのことを懐かしく語り,自分の子育てや今の勉強の仕方について意見を聞かせてくれた子もいて,嬉しかった。

 無意識であれ意図的であれ,表現すること,表現していくことが生そのものなんだなと思う。


 会の冒頭で簡単な挨拶を求められ,「変わること,変わらないこと」などと格好つけて言ってみたが,まとまらなかった。
 今,昨夜を振り返りながら言葉にしてみれば,こんなふうになる。

 きっと人は誰しも,変わらないものを抱えて変わり続ける存在なのだろう。
 その中身,その動き方が,人を形づくっていく。

 こんなふうに言いたかったんだ。