「晩晴会」とは絶妙のネーミングだと思った。その会が主催する「第3回教育の原点セミナー」が今年も開かれた。
初回から参加したいと思っていたが、昨年、一昨年と予定が合わず断念。今回どうにか合わせることができて、待望の初参加だった。
人数はそれほど多くないが、野口芳宏先生を師と仰ぐ全国の方々が千葉の植草学園大学に集い、充実した講座の数々となった。
野口先生が最初と最後の講座を全体会という形で持たれ、あとはA,B2会場に分かれての発表である。全部で2会場×8コマ、私は「修養」に関わる講座を中心にしながら拝聴した。
いずれも25分では語りつくせない内容だったと思うが、皆さんそれをコンパクトにまとめ、凝縮した姿で提示なさった。
備忘録としていくつか感想を留めておきたい。
現在初任者指導?をしておられるのか、複数の学校に勤務している藤本浩行先生の「育ち育てる教師力」というお話を聴いた。
藤本さんが教師力の五つの要素として提示したのは「授業」「学級経営」「校務分掌」「保護者や地域」、そして「手伝い」ということだった。一番最後の「手伝い」とはレジュメ上は「ゆとりの領域」(人の仕事を手伝ったり、教えたり、アドバイスをすること)と表わされている。
この「手伝い」(ゆとりの領域)は、他の四つと比べて異質であることがわかる。藤本さんなりの解釈によって提示されてはいるが、これは、他の要素のように「責任」が生じない一点で、同等に並べられるものかどうか、私には疑問が残る。
もちろん、その重要性を否定しているわけではない。むしろ、教師の資質としてはかなり大きいと認識している。
この要素は、独立したものではなく、足し算のように存在するのではなく、かけ算のように機能するのではないか。
従って「育ち育てる」教師人生の中で、もっとも職場や身近な環境に左右されやすく、強い影響をおよぼすのではないか、という気がしている。
そしてその意識は学校現場の中で、確実に大事にしなければならない。
愛媛宇和島の松澤校長先生は、まさに野口先生の薫陶をうけたお一人だと思った。 「校長になってから学んだ指導技術」という演題で、「野口実践の継承」を掲げ、着実に実現しておられることに感服した。
実践事例として紹介されたのは、修養のための校内組織、俳句作りそして読書会である。私もいくらか真似ごとみたいなことはしているが、松澤さんには及ぶべくもない。
それにしても、校長として野口実践のキーワードは何をさておいて「硬派」であることは確かだ。
そして白状すれば、それが一番難しく、追えども追えどもたどり着かない大きな背中がある。
そのあたりを松澤さんがどんなふうに「実践」しておられるのかも、いつか訊いてみたい。
多くの志ある方々のお話を聞き、元気づけられたセミナーであった。
「晩晴」にすべくいくつかのヒントもいただいた。しかし同時に、自分の粗や穴がまた目立ってしまうことを感じる。
そんな気分を元気づけてくれる一言はないかと、講座メモを読み返してみたら、野口先生が最後の講座の締めくくりに近いところで、こんなふうに言われたことが書いてあった。
業と限界の中でどう生きていくかが本当の教育論
うーん,けだし名言。
自分の業と限界ばかり見つめていてもしょうがないか。
初回から参加したいと思っていたが、昨年、一昨年と予定が合わず断念。今回どうにか合わせることができて、待望の初参加だった。
人数はそれほど多くないが、野口芳宏先生を師と仰ぐ全国の方々が千葉の植草学園大学に集い、充実した講座の数々となった。
野口先生が最初と最後の講座を全体会という形で持たれ、あとはA,B2会場に分かれての発表である。全部で2会場×8コマ、私は「修養」に関わる講座を中心にしながら拝聴した。
いずれも25分では語りつくせない内容だったと思うが、皆さんそれをコンパクトにまとめ、凝縮した姿で提示なさった。
備忘録としていくつか感想を留めておきたい。
現在初任者指導?をしておられるのか、複数の学校に勤務している藤本浩行先生の「育ち育てる教師力」というお話を聴いた。
藤本さんが教師力の五つの要素として提示したのは「授業」「学級経営」「校務分掌」「保護者や地域」、そして「手伝い」ということだった。一番最後の「手伝い」とはレジュメ上は「ゆとりの領域」(人の仕事を手伝ったり、教えたり、アドバイスをすること)と表わされている。
この「手伝い」(ゆとりの領域)は、他の四つと比べて異質であることがわかる。藤本さんなりの解釈によって提示されてはいるが、これは、他の要素のように「責任」が生じない一点で、同等に並べられるものかどうか、私には疑問が残る。
もちろん、その重要性を否定しているわけではない。むしろ、教師の資質としてはかなり大きいと認識している。
この要素は、独立したものではなく、足し算のように存在するのではなく、かけ算のように機能するのではないか。
従って「育ち育てる」教師人生の中で、もっとも職場や身近な環境に左右されやすく、強い影響をおよぼすのではないか、という気がしている。
そしてその意識は学校現場の中で、確実に大事にしなければならない。
愛媛宇和島の松澤校長先生は、まさに野口先生の薫陶をうけたお一人だと思った。 「校長になってから学んだ指導技術」という演題で、「野口実践の継承」を掲げ、着実に実現しておられることに感服した。
実践事例として紹介されたのは、修養のための校内組織、俳句作りそして読書会である。私もいくらか真似ごとみたいなことはしているが、松澤さんには及ぶべくもない。
それにしても、校長として野口実践のキーワードは何をさておいて「硬派」であることは確かだ。
そして白状すれば、それが一番難しく、追えども追えどもたどり着かない大きな背中がある。
そのあたりを松澤さんがどんなふうに「実践」しておられるのかも、いつか訊いてみたい。
多くの志ある方々のお話を聞き、元気づけられたセミナーであった。
「晩晴」にすべくいくつかのヒントもいただいた。しかし同時に、自分の粗や穴がまた目立ってしまうことを感じる。
そんな気分を元気づけてくれる一言はないかと、講座メモを読み返してみたら、野口先生が最後の講座の締めくくりに近いところで、こんなふうに言われたことが書いてあった。
業と限界の中でどう生きていくかが本当の教育論
うーん,けだし名言。
自分の業と限界ばかり見つめていてもしょうがないか。