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業と限界の中で

2012年09月03日 | 雑記帳
 「晩晴会」とは絶妙のネーミングだと思った。その会が主催する「第3回教育の原点セミナー」が今年も開かれた。
 初回から参加したいと思っていたが、昨年、一昨年と予定が合わず断念。今回どうにか合わせることができて、待望の初参加だった。

 人数はそれほど多くないが、野口芳宏先生を師と仰ぐ全国の方々が千葉の植草学園大学に集い、充実した講座の数々となった。

 野口先生が最初と最後の講座を全体会という形で持たれ、あとはA,B2会場に分かれての発表である。全部で2会場×8コマ、私は「修養」に関わる講座を中心にしながら拝聴した。

 いずれも25分では語りつくせない内容だったと思うが、皆さんそれをコンパクトにまとめ、凝縮した姿で提示なさった。
 備忘録としていくつか感想を留めておきたい。

 現在初任者指導?をしておられるのか、複数の学校に勤務している藤本浩行先生の「育ち育てる教師力」というお話を聴いた。

 藤本さんが教師力の五つの要素として提示したのは「授業」「学級経営」「校務分掌」「保護者や地域」、そして「手伝い」ということだった。一番最後の「手伝い」とはレジュメ上は「ゆとりの領域」(人の仕事を手伝ったり、教えたり、アドバイスをすること)と表わされている。

 この「手伝い」(ゆとりの領域)は、他の四つと比べて異質であることがわかる。藤本さんなりの解釈によって提示されてはいるが、これは、他の要素のように「責任」が生じない一点で、同等に並べられるものかどうか、私には疑問が残る。
 もちろん、その重要性を否定しているわけではない。むしろ、教師の資質としてはかなり大きいと認識している。

 この要素は、独立したものではなく、足し算のように存在するのではなく、かけ算のように機能するのではないか。
 従って「育ち育てる」教師人生の中で、もっとも職場や身近な環境に左右されやすく、強い影響をおよぼすのではないか、という気がしている。
 そしてその意識は学校現場の中で、確実に大事にしなければならない。


 愛媛宇和島の松澤校長先生は、まさに野口先生の薫陶をうけたお一人だと思った。 「校長になってから学んだ指導技術」という演題で、「野口実践の継承」を掲げ、着実に実現しておられることに感服した。

 実践事例として紹介されたのは、修養のための校内組織、俳句作りそして読書会である。私もいくらか真似ごとみたいなことはしているが、松澤さんには及ぶべくもない。

 それにしても、校長として野口実践のキーワードは何をさておいて「硬派」であることは確かだ。
 そして白状すれば、それが一番難しく、追えども追えどもたどり着かない大きな背中がある。
 そのあたりを松澤さんがどんなふうに「実践」しておられるのかも、いつか訊いてみたい。

 多くの志ある方々のお話を聞き、元気づけられたセミナーであった。
 「晩晴」にすべくいくつかのヒントもいただいた。しかし同時に、自分の粗や穴がまた目立ってしまうことを感じる。
 そんな気分を元気づけてくれる一言はないかと、講座メモを読み返してみたら、野口先生が最後の講座の締めくくりに近いところで、こんなふうに言われたことが書いてあった。

 業と限界の中でどう生きていくかが本当の教育論

 うーん,けだし名言。
 自分の業と限界ばかり見つめていてもしょうがないか。