すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

声に置き換えられた時から

2012年09月26日 | 読書
 野口芳宏先生のある古い著書を読み直している。
 全編読み終えてから改めて「学び」をメモしたいと思うが、第一章から実に読み応えのある本だなと感じている。

 こんな一節がある。

 話すことは、自分の存在感を確認することであり、それは同時に、社会的存在としての人間の連帯欲求と、成長欲求とを満たす行為なのである。

 ここを読み、なぜか野球の試合及び応援のことが頭をよぎった。
 このような場面である。

 リードを許したチームが少し沈んできた。
 そんなとき必ずベンチや応援席から声がかかる。

 「声、だせーーーー」

 それに応えるように、守備についている内外野手から
 「イッチョーコーーイ」「オーーーエーー」(というような声、雄叫び)が発せられる。

 その声は、野口先生がおっしゃる上の三つの要素が混じったものだなとつくづく感心した。

 つまり、「俺はここにいるぞ」という存在の確認。

 そして、「みんな、がんばっていこうぜ」という連帯欲求。

 さらに、「ここへ打ってみろ、絶対取ってやる、アウトにするからここへ打て」という成長欲求。

 なんか見事に当てはまるのである。

 言葉が生の欲求を満たすとすれば、それは、やはり声に置き換えられた時から始まるということだろうか。