すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

対話術を意識してつかう

2012年09月13日 | 読書
 『発問・説明・指示を超える 対話術』(山田洋一 さくら社)

 「対話」が教育界のトレンドの一つになっている気がする。
 そして、この本での「対話」はきわめて限定的である。

 対話の対象は「教師と子ども」であり、ここには子ども同士は含まれていない。そして中心場面は「授業」をメインとした学校生活になっている。
 つまり「発問・説明・指示を超える」という形容からわかるように、主として学習を成立させたり、意欲を高めたりするための、子どもに対する対応技術、そのうちの直接的な言語面を取り上げていると言ってもよいだろう。

 さて、野口芳宏先生の授業名人たる所以の一つに、その「受け」の技術がある。
 それは先生ご自身のご人格もさることながら、若い頃から積み重ねてこられた膨大なキャリアに支えられて構築されたものと考えられる。
 授業を拝見するたびに、また模擬授業をうけるたびに、その柔軟さに舌を巻く思いをすることがあるのは,私だけではないだろう。
 それは「受け」が、いわゆる「攻め」に比べて上達論を示すことに難儀であって、なかなか身につかないと感じている人が多いことを示しているような気もする。

 この著には、野口先生や他の授業名人と称される方々が使われている技術を端的に示している箇所が結構見られ、参考になる。
 さらに、「引き出し型」「束ね型」「寄り添い型」と日常の場面に即して分類していることも成功しているように見える。

 いくらか重複している点や、技術としての表現にやや一貫性が欠ける点もあるが、これらの技術は基本的に「使える」し、全てでなくとも(感覚的にはおよそ半分を)身につけることで、かなり対応力に自信を持てるのではないか。

 教師のタイプは様々でも、子どもとの対話を軽視するわけにはいかない。そしてそれは明らかに、いわゆる教師力の一部である。
 「対話術」を突き詰めて、意識してつかうことの大切さを、著者は説いている。

 第一章にある「周りの子どもたちへの意識が、教室における対話術の真骨頂」という言葉から、集団統率力までに思いが及んでいるこの部分は、なるほどと納得させられた。

 集団統率力とはいったい何かと問われれば、私はその一つとして「一人の子どもに指導しているときに、周りの子どもたちを意識できる能力」を挙げます。

 日常の学校、教室に、そういう「時」「場」がいかに多くあるか、今さら言うまでもない。