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ある観劇,居心地の悪さ

2012年09月04日 | 雑記帳
 どうしてこんなに居心地が悪いのだろう…そんな思いでステージを見つめた。


 研究会参加のために東京に前泊する必要があったので,ネットで調べたら思いがけなく演劇の公演があった。さっそく申し込み夜の部へいそいそと出かけてみた。
 大きな劇場ではないが,その筋では著名なKホールである。

 演劇界の重鎮ともいうべき方が主宰している劇団による,あるフランス劇。
 小規模であったが,前方のいい席でとても集中してかつ楽しく観ていた。

 ところが劇の終末,筋が大きく展開する場面で登場したある若い?役者が喋りだしたとたんに,どうにも落ちつかなくなってきた。
 あまりにも台詞が響いてこない。

 もちろん観劇など年に一,二度の自分なので,通を気取っているわけでは全くないが,他の出演者の声とはまったくレベルが違う気がした。
 限られた時間と台詞の数だったが,エンディングへ向かって劇を締めるとても大事な役どころ…えっ,えっ,こんな感じなの…と今までの高揚した気分がとたんに醒めて,妙に落ち着かない気分になっていた。

 本当は別の人の配役だったが突然のアクシデントがあり,交代でもしたんだろうか。だからこのような有様で…そんな想像もわくほどだ。

 かくも一人の存在が,その演劇を台無しにしてしまうものだななどと考えながら,これがもし違う役どころで,もっと前の場面であれば,なんとか凌げたのではないか,と余計なアイデアまで思いつく。

 演劇のキャストであれ別の組織であれ,欠点や相対的な弱点はあろう。それをどこに配置するか…目立たないところなどそうそうありはしない。
 しかし,いったん落ち込んだり,批判があったりしても,それを全体な枠組みの中で逆に生かすことも可能かもしれないし,その後のエース投入で挽回できるということもあるだろう。
 全体的なデザインということか。ストーリーということか。そんなふうに考えていくと,どんな役者でも生かしてやろうという気になってくる。

 居心地の悪さをこんなふうに前向きにとらえられるとは思わなかった。

 しかしもう一度,今回はあんまりなので,劇団主宰の重鎮にはちょっと考えてほしかったな…と生意気な終わり方をしてみよう。