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辞典の存在は思うよりずっと大きい

2012年09月18日 | 読書
 辞典を使った指導をもうひと押ししてみようか思い、再読してみた。

 『7歳から「辞書」を引いて頭をきたえる』(深谷圭助 すばる舎)

 2006年、深谷氏が立命館小学校教頭として動き出した年の発刊である。教員対象というより保護者層も含めて読者を想定している本といってよい。
 もともと自分にとって関心の高い領域であるので、発刊後すぐに手にしたと思う。
 今改めて読み直しても共感できることが多い。

 いわば冒険的といってよい一年生への国語辞典の導入、そして指導について、学ぶべき点は多くあるが、たとえば次の二つのことについては、辞典に限らずもっと前向きに考えていくべきと意を強くした。

 教材、教具導入の学年段階に関して
…一般的とか常識にとらわれてばかりでは進歩がない。背伸びが必要なものを与えていいこと。
 むしろ、その可能性に期待する心意気が大事だ。

 児童の意欲の尊重と他の活動との関わりについて(ここでは例えば給食中も辞典を引いている子がいることなど)
…一つのことに夢中になったとき、他がおろそかになる例は多々ある。しかし、それを理由に徹底できなければ、結局半端なものにしかならない。
 そして多くの場合、そんなに心配なく他のこともやれるようになるということ。


 さて、「金田一一家の『日本語修業』はヒントになる」という章は、体験と言語の結びつきが日本語の力を高めることの好例が示されていた。

 これは学校現場で実現できることではないにしろ、「モノ、コトを見る目」を育てるために言語が果たす役割は決定的であり、その言語環境として、傍に教師がいて、手元に辞典があるということは間違いなくかなり大きいと言える。