すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

今時,とても難しいこと

2012年09月08日 | 読書
 『あなたの人生に「奇跡のリンゴ」をつくる本』(木村秋則 小学館)

 先月末、弘前での研修会の折りに買い求めたものだ。
 木村さんの本が何冊か並んでいて、一番ビジュアルなものに手を出してみた。
 木村さんの半生は、以前読んだ本でわかっているし、ちょっと切り口をかえたものをと思って選んだ。

 リンゴ畑の写真も豊富で、インタビューやさらには木村さんが回答する人生相談的なコーナー、そして「プランターでできる木村式 自分でつくった安心野菜を食べよう」という章があり、ずいぶんページが割かれている。

 以前読んだものは、木村さんの歴史をたどっていく物語だったし、これはいわば成功者としての木村さんが、野菜作りから生きかたまでをレクチャーする一冊と言ってもいいかもしれない。
 もっとも、木村さん自身は成功者なんて思ってはいないだろう。講演記録の冒頭、次の一文が自信ありげに?響いてくる。

 自慢できるといえば、一番失敗が多い人間じゃないかということです。

 これは単にそれだけ努力をした、あきらめなかったということの表現ではないと思う。
 つまり、失敗のたびに何かに気づく、少なくとも今試した方法では駄目だったことがわかる、ということの積み重ねでは負けないということではないか。
 心底そう言えたら、もう何も怖いものなしだろうな、と思う。

 「奇跡の○○」というと、私たちは何かネーミングだけで特別視してしまいがちだが、本当に価値がわかるものなのかという点も考えさせられた。
 ある子どもが木村さんのリンゴジュースを飲んで「普通のジュース」といった件は、なかなか象徴的だ。
 その真価は一週間後に判明するのだが…。

 世の中に「奇跡の○○」(食べ物とか、日常的に使うものなど)と呼ばれるものがあるとすれば、その価値はそんなに一瞬でわかる、感じるものではないような気がしてきた。
 それはたぶん、その価値をすぐに感じ取れないほど、鈍っているのが私たちの日常ではないかと。

 もう一つ、栽培コーナー「ダイコン」で取り上げられた、引きこもりがちだった中学生のエピソードは、教員好み?であろう。
 「自然の力を信じる」といえば、格好のいい表現だが、そのために何が必要だったか、それはまったく「見る」ということだな、と今度も同じ感想を抱いた。

 そのためにすればいいことは、そんなに難しいことでも、複雑なことでもない。

 ただ、「続ける」「待つ」という、シンプルな動きをいかに保てるかだ。

 そしてそれは,今時とても難しいことでもある。