すぷりんぐぶろぐ

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弱々しさを愛でる心

2012年09月27日 | 読書
 立ち寄った書店で目についた表紙に心誘われて、久し振りに雑誌『サライ』を手にした。
 http://www.zassi.net/detail.cgi?gouno=32102

 あの毛利衛さんが巻頭のインタビューに答えている。
 毛利さんのキャリアから導き出されたいい言葉が並んでいた。

 「月」を特集していることに絡んでいるが、次の一節は染み入る。

 私たち日本人は昔から太陽よりもお月さんを好んで愛でてきた。むしろ、その弱々しさを愛でる文化というのがあるわけです。ひょっとして、それはすごく重要なことで、その弱々しさのなかにこそ、生命というものを理解する本質があるんじゃないだろうか。

 生存するものにとって弱肉強食が避けられないのは定めである。
 時代による波はあったにしろ、その論理で覆い尽くされた世の中にしてこなかったのが、日本の文化だと思う。

 毛利さんは、かつてのアメリカとの貿易摩擦の折の日本の自主規制を例に、こんなふうに語る。

 摩擦を防ぐために自主規制する文化なんて、欧米はもちろん中国にもあり得ない。でも日本は相手の立場を思いやることを先取りして行った。

 こういうメンタリティに基づく行動を、「弱腰」と称したり「世界常識では通用しない」と批判したりすることはよくある。
 しかしそう語る人の本質は、最終的に勝利志向、権力志向ではないかと勘繰りたくなることが、私には幾度もあった。

 隣国との関係や原発問題にも当てはまることだろう。
 ただ、私たちは結果的にどうなのかだけに目を奪われてはならないと思う。その過程で起こっていること、様々な立場からものいう人、口を閉ざす人…自分のできる範囲でこれらを広く、深く物事をとらえながら判断する。
 同じ結論を出すにしても、その過程で得られる思考こそが、自分を支えるのではないか。

 「弱々しさを愛でる」ということは、つまり、勇ましさや頑なさの陰にある部分を見い出し、そこを汲み取って判断に加えることではないかという気がする。

 それはきっと世界全体にしてみれば、温暖化や環境破壊へ進む道に少しはブレーキをかけることになるのかなあ、と大きいことまで想像してしまう。

 30日は名月をしみじみと眺めたいものだ。