すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

『教師力ピラミッド』をたずねてみる②

2013年03月07日 | 読書
 『教師力ピラミッド』(堀裕嗣 明治図書)その2

 第三章から第五章がこの本の中心とも言えるだろう。全ページの三分の一にあたる50ページが割かれている。

 読み進むにつれて、「あれあれっ……いやいや、そうだった、そうだった」となった。

 「友人型」「母性型」「父性型」と示されると、なんとなく教師のタイプの違いだけと捉えられがちだが、ここはあくまで「○○型指導」ということだ。

 つまり「友人型指導」を手始めに身につけ、次第に「母性」「父性」に移行していくという想定である。
 自己のキャラクターや経験に応じて、指導力の型が変容していくという面と、その学校や職員集団に合わせた形で個々の教員がどの型を強く出していくかという二面性がある。
 最終的に著者のいう「チームビルディング」的な発想は、その両面から構成されていくことになろう。


 ここまで読み進むと、当然ながらこれは中学校の現場によりマッチする考え方だなと思う。
 小学校における学級担任制、特に私の住む県に多く見られる、担任外教員も少ない小規模校をイメージしたとき、そのまま当てはめることは難しい。

 個人内の力量形成の面においては、小学校教員であっても友人型からの出発が妥当なのかもしれない。
 しかし担任として同じ子どもに接する時間がほとんどである場合、それだけで通すことはできないし、本質的に母性、父性も合せて持つバランスが大切と言えるだろう。
 むろん、個々の教員の性格、キャラクター、そして学年段階、学級集団の実態によって、それらの比率が決定されることになるだろう。

 私が知っている分類には「ガキ大将型」「黒子型」があるが、これにしたって使い分けが肝要である。
 そこに視点を当てると,この著の指導力の一つ一つの項目立ては、自分の学級経営や生徒指導に生かす場合のいいチェック項目になるし、強みや弱み(要改善事項)を顕在化させるラインナップになっている。


 第六章「事務力」の三つの要素を「教務力」「研究力」「緻密性」としたのはさすがである。
 「事務」という言葉から現場教員のうけるイメージは、面倒なこと、教育活動とかけ離れていること、できればあまりやりたくないこと…が大半だと思うのだが、ここでは研究、教務と、現実的に教育が事務と密接に結びつく場面を取り上げて、意識化させる。
 教員個々の提出物等にみる事務能力、姿勢を見ていれば、教育実践の質とかなりの部分で相関関係があると考えるのは、私だけでないだろう。

 選択・注意・処理・評価・計画…事務仕事で発揮される能力は授業でも生きる。

 と、こで唐突のように「授業」と出したのは、この著にない「授業力」はどこへいったかということに触れようとしたからだ。
 教師力を取り上げながら、授業のことにふれないというのは変ではないか。
 最初そうは考えてみたが「それはまた別のお話」という具合にすっぱり引っ込めて組み立てたことで、かなりすっきりしている。

 ただ、教師としての最重要業務ともいうべき「授業」および「授業づくり」をがっちりと支えるのは、ここでいう指導力や事務力であることは、現場の教員なら誰しもわかるだろう。