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『教師力ピラミッド』をたずねてみる③

2013年03月08日 | 読書
 『教師力ピラミッド』(堀裕嗣 明治図書)その3

 第7章「先見性・創造性」は、ピラミッドの最も上部にある。
 礎の部分と、その上のいわば実務的な力に加え、もう一段教職を深めるための心がけであるし、指導力・事務力を一層伸ばす手立てでもある。

 内容としては、下部にある力と地続きであろう前半と、情報収集の具体策である後半に分かれる気がする。
 前半(小さな変化への敏感さ、即時対応、華のある行事)を「先見性・創造性」と呼ぶことに、この仕事の地道さが見えるし、結局現場にある子どもを対象にして力量形成することを繰り返し強調している。
 後半は、最終の「仲間をもとう、人とつながろう」に尽きるし、そこでの刺激が視野を広くしていくきっかけになることは、多くの実践者が語っている。
 そこを踏み出せれば、この本に書かれた内容の習得率が高くなるはずだし、より多彩な教師との交流のなかで自分磨きも一層進むにちがいない。

 それゆえ?その一歩が難しい。
 例えばこの本を購入した多くの方は、何らかのつながりによって本著を求めたのだろうか。ネットや書店で孤独に(笑)手を伸ばしたのだろうか。そんなことが気になったりする。


 この著の核が第八章にある。
 学校の職員集団がチームとなって、この教師力ピラミッドを構築して、この困難な時代を乗り切ろうということが主眼だ。
 チーム力という意識がピラミッド全体を機能させていくといってもよいか。
 納得の結論である。

 古くから「持ち味を生かす」という言葉が使われることがあった。
 今の立場になったときにも、そのことは年度当初ずいぶんと強調してきたように思う。小規模の学校が多かったので限られてはいるが、人員配置に気は配った。一種のブリコラージュ的なことだったかもしれない。
 さて、この著を読み、以前と同じ状況に置かれて、何か違うことができるだろうかと考えてみたとき、選択の範囲があまりにも狭い現実だなあと思わざるをえない。

 今「チーム○○(団体名など)」という言葉がよく使われている。穿った見方になるが、それによって一体感だけが強調される場合もありはしないか。一律的な多くのことを要求されて、それをこなしていくのに汲々としている状態は、けして今後求められる「チーム」でも「力」でもない気がする。
 真の「チーム力」は、均しの思想ではなく、組み合わせの思想だと思う。堀さんが言っていることとも大きな違いはないだろう。

 小規模な小学校という現状を改めて考えると、個々の教師の持っているピラミッドを質的に成長させながら、歪な部分を認めつつ、バランスよい方向を目指していくことになるのではないか。
 そして、単体をどう絡ませ、組み合わせて、全体像を作り上げるか…自分にとって頭の痛い季節がやってくる。

 副題「毎日の仕事を劇的に変える40の鉄則」に照らせば、「仕事が劇的に」変わったとはとても言えないが、間違いなく年度末、年度当初の仕事をつくる観点の一つにはなった。
 その意味では、管理職必見の著として推したい。(了)