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『暮しの手帖』の叱り方は…➀

2016年05月25日 | 雑記帳
 2001年から2年間、MM小学校教師用ニュースマガジンに月1回のペースで読書記録を載せていただく機会があった。

 そこで書いた印象的な回に、下記の文章がある。
 『暮しの手帖』つながりということで、再録してみたい。
 長いので今日明日と分割する。前半は冊子の概観の紹介が中心になっている。


 「叱り」の成立~『暮しの手帖「叱る!!」保存版Ⅱ』(暮しの手帖社)を読んで

 受け持った子どもを殴ったことがある。
 二十年以上前のことだ。
 学校に隣接するグラウンドでの陸上競技の授業、100メートル走のスタート練習で、ある子のズックのとれかけた紐を見て、わざと足で踏んづけたのはSだった。
 「何をするんだ!」
 思わず出た右手はSの頬を直撃し、身体ごと3メートルばかり吹っ飛んだ。しばらく立ち上がれなかったSの様子を今でもくっきり覚えている。

 自分の中に沸きあがった怒りを、子どもに対して腕力で示したことを後悔した。  
 これを指導とは言わない…私はそんなふうに、はっきりと体罰と決別した。


 『暮しの手帖』は知ってはいたが、購読したことはなかった。
 今春「叱る!!」と示された大きな題字を書店で見かけ、迫力?を感じ手にしてみた。
 304ページ、全八章からなる構成は、そのうち半分が書き下ろし、残りが従来の記事の再録であるようだ。
 「叱る」をテーマに各界の著名人が語る思い出や提言が中心になっている。

 「『叱る』文化。『叱り』の復権」がテーマである。
 作家の曽野綾子氏の「母のお仕置き」と題された文章が巻頭言として載っていることからも、なんとなく全体の文脈が予想されるようなところもあった。
 つまり、もっと大人が自信を持って子どもを叱るべきだ、そうしたことを怠ってきたから、今の不甲斐ない社会があるのではないか…と。

 確かに、多くの論者が自主性尊重の教育に関して大きな疑問を呈し、叱ることの重要性を強く述べている。年々やわになっていく私にも頷く部分が多かった。

 ただ、それ以上に「叱る」ことの多様さ、その姿や意味、方法などについて考えさせられたといってよい。
 エッセイ風に書かれた多くの文章は、ほとんどが自分の体験をもとに書かれていてそのタイトルだけでも多様さが想像できよう。

■熱い感情を持って      (高樹のぶ子・作家)
■叱るということは、劇薬である (堀田力・弁護士)
■「叱る」より「パワー落とし」 (斎藤学・家族機能研究所)
■叱らずに「叱る」      (林望・作家)
■「叱られる」ことは「愛される」ことなんだ(鎌田實・諏訪中央病院管理者)

 
 別の章では「私を叱ってくれたあの人、あの一言」というアンケートに22人が答えている。藤本義一、大林宣彦、小山内美江子、田部井淳子といった著名人が並ぶ。
「私を叱ってくれた○○さんの一言」という回答に寄せられた姿は、様々であった。文字通り、強烈なパンチとなる一言もあれば、無言の叱責もあり、握った手の温かさというものもある。

(以下、明日へ)