すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

『考える人』から考える③

2016年05月05日 | 読書
 『考える人』2016春号

 特集以外の記事は連載がほとんどで、最終回であったり、新連載であったり、確かに一つの区切りになる号である。

 糸井重里が「いまさらだけど、マンガっていいなあ」という連載を始めた。
 その発端が「ほぼ日」にも載っていて、そこが結局のところ今号を買ったきっかけとも言える。

 ここで糸井が語っているのは、『インターネット的』で強調したことのいい実例なのだと思う。

★「おれ、歌うよ」って言ったやつの歌がうまければ、聴く人が現れるっていうことを、この人たちはパッと証明しちゃった。(中略)表現する人とそれを受け止める人をつなげるのは、ものすごく簡単になった。

 もちろん、取り上げたマンガの「スゴイ表現」の持つ起爆力のようなポイントを、上手に取り上げながら文章を進めている。

 マンガという表現方法の隆興が意味することを考えるのは、この国の文化を考えるには適しているのだと思う。
 そんなに多く読んでいるわけではないが、ちょっと幅を広げて読んでみたい気にさせられた。


 「故郷」と題した是枝裕和のエッセイは、公開前の映画『海よりもまだ深く』の内容をきっかけにしながら、取材で訪れた石巻の風景がズームアップされた形で語られている。
 
 さすがに「風景」のもつ意味、「時間」がもつ重みのようなことを的確に描いている文章だと思った。


 一番面白かったのは、連載最終回という高野秀行の「謎のアジア納豆」だった。
 アジア各地の納豆を探る旅の終わりは「岩手県西和賀町」。
 幻とされる「雪納豆」について取材した文章はとても興味深かった。

 ただそれ以上に、冒険的なノンフィクションの作家である高野が、真冬のその町を最初に訪れた感慨「よくこんなところに人間が生活しているよな…」と書いたことが、心に響く。

 自分たちも似たような環境にいる。
 その表現がやや過剰なレトリックだとしても、やはり都会からみるとそうした位置づけにあることは現実なのだ。

 しかしだからこそ、逆に独特のものを作り出す要素があるのではないか、と気づいた。

 「雪納豆」、そしてもう一つ地元で作り続けられている「菓子箱納豆」の、製造の過程は、伝統的ではあるが神秘的なものではなく、かなり現代的な要素が見られる。
 これを、高野はこう表現した。

★昔の手作り納豆のよさと現代の科学技術を駆使した納豆のハイブリッド

 そして、その両者は「ベスト・オブ・納豆」だと言い切っている。
 
 豪雪地、過疎地にあったからこそ出来上がった背景があるとすれば、「ハイブリッド」という発想を持つことによって、いくらでも強みに変えられるという一つの好例であろう。


 これら以外にも、安藤忠雄の大阪の桜植えの話、尾道で若者がチョコレート工場を建てたことなどなど面白く読めた。
 あと、連載「牛でいきましょう」の宮沢章夫は、相変わらずの文体で、あまり進歩がないと思った(笑)。