『学校でしなやかに生きるということ』(石川晋 フェミックス)
現役を退き多くの教育書を処分したのに、ネットを見ていてこの著書の発刊を知りつい注文しようとしている自分にはっと気づき、なんとなく苦笑いしてしまった。
でも読みたいんだよなと心を確かめて、ポチッとクリックしたのだった。
この本に書かれているいくつかのことは、著者のブログ愛読者として知ってはいた。
しかし、それがまた書籍となって在ることは意味が強くなっていると感じる。
一昨年に研修会に招いたとき、ずいぶんとたくさん思いや考えを聴くことができた。
それらを改めて反芻できた気がするし、共感、納得できる部分が今もって大きいことに、ここしばらく石川晋という実践者に注目し続けた自分の歩みを振り返させられたようにも感ずる。
一昨年夏、こんなメモを残していた。
「風穴を探す旅のような」
まったく思いは変わらない。
この著を読むには、まず「しなやかに生きる」というイメージをどのようにとらえるか、また意味づけをどのレベルで行えるかが問われる。
私は、学校がダブルバインド(二重拘束)のような状態に置かれているということをよく職員に話していたが、それは著者の次のような認識と結びつく。
★「総論賛成。でも各論にはすべからく反対」を支える「制度化」してしまった「学校」という場所(しかも多くの人が制度化してしまっていることに無自覚なのだ)で、さて、どうやって生き残っていけるのか…。
この本には、そのための「工夫」と「しなやかな抵抗」が著されている。
しかし、それらを読み取ったとしても、現実に何かを働かせることのプラスにはならないだろう。
支える下地(思想といってもいい)が養われていない限り、力になり得ないからだ。
では、下地とは何か…。
結局「風穴」を開けた感覚を持てないまま職を退いた今ではあるが、外からチョンチョンと突っつくことも有りかな、そんな気持ちで少し書き散らしてみる。(あすへ)
現役を退き多くの教育書を処分したのに、ネットを見ていてこの著書の発刊を知りつい注文しようとしている自分にはっと気づき、なんとなく苦笑いしてしまった。
でも読みたいんだよなと心を確かめて、ポチッとクリックしたのだった。
この本に書かれているいくつかのことは、著者のブログ愛読者として知ってはいた。
しかし、それがまた書籍となって在ることは意味が強くなっていると感じる。
一昨年に研修会に招いたとき、ずいぶんとたくさん思いや考えを聴くことができた。
それらを改めて反芻できた気がするし、共感、納得できる部分が今もって大きいことに、ここしばらく石川晋という実践者に注目し続けた自分の歩みを振り返させられたようにも感ずる。
一昨年夏、こんなメモを残していた。
「風穴を探す旅のような」
まったく思いは変わらない。
この著を読むには、まず「しなやかに生きる」というイメージをどのようにとらえるか、また意味づけをどのレベルで行えるかが問われる。
私は、学校がダブルバインド(二重拘束)のような状態に置かれているということをよく職員に話していたが、それは著者の次のような認識と結びつく。
★「総論賛成。でも各論にはすべからく反対」を支える「制度化」してしまった「学校」という場所(しかも多くの人が制度化してしまっていることに無自覚なのだ)で、さて、どうやって生き残っていけるのか…。
この本には、そのための「工夫」と「しなやかな抵抗」が著されている。
しかし、それらを読み取ったとしても、現実に何かを働かせることのプラスにはならないだろう。
支える下地(思想といってもいい)が養われていない限り、力になり得ないからだ。
では、下地とは何か…。
結局「風穴」を開けた感覚を持てないまま職を退いた今ではあるが、外からチョンチョンと突っつくことも有りかな、そんな気持ちで少し書き散らしてみる。(あすへ)