長いドライブにはよそ見運転がつきもの…なんて、怖いことは書かれないが、見知らぬ土地では運転中でも、つい看板や店名などに目が向きがちである。
見慣れない名前やコトバは、助手席の連れ合いとの絶好の話のタネにもなる。
ぱっと一瞬で見取ったゆえに、正確さに欠けるかもしれないが、なんだあっと思ったことをいくつか。
「赤字丼」
えっ…と思ったが、おそらく道内産のたくさんの名物、ネタなどをのっけて、採算を度外視した(ような)豪華などんぶりを指すのだろう。
しかし、普通なら「満足丼」とか「北のスペシャル丼」のような名称になるのではないか。
つまり、買い手にとっての感覚が問題なのではないか。
それを「ウチは赤字覚悟で出してます」と言った自分だけの勢いを名付けてしまうのは、あまりに不遜ではないか。
「食べさせてやる感」に通じる不快さも残る。
食べなくともいいぞ、赤字丼は!
いや、そうでなく、ひょっとすると果実の赤い汁がかけられている丼も考えられるか。
「小さな人生の卒業式」
信号で止まった角にあるセレモニーホールの看板には、そんな一文がデザインされていた。
なるほどね。
北海道に限らず、小規模や家族だけの葬儀も多くなっているのだろう。
でもこれだと、比喩としての「卒業式」が「小さな」でなく、「人生」の方が「小さな」ととられないか。
そりゃあ多くの場合その通りの細やかさであることは認めるが、誰も葬儀屋に「小さな人生」とは言われたくないような気がする。
それから「卒業」というからは、「証書」が必要だけど、当人がもらえないんだね。
「人生の甘納豆」
いろいろなショップでお菓子などを見て、ネーミングに感心したけれど、ベストはこれかなと思う。
黒豆を使っていて、その横に記されたコピーもなかなか洒落ていた。
「黒(くろ)うかけますが 豆(まめ)にがんばります」
垢抜けなくとも、ダサくとも、しみじみとした味わいがあるコトバは心に沁みるものだ。
見慣れない名前やコトバは、助手席の連れ合いとの絶好の話のタネにもなる。
ぱっと一瞬で見取ったゆえに、正確さに欠けるかもしれないが、なんだあっと思ったことをいくつか。
「赤字丼」
えっ…と思ったが、おそらく道内産のたくさんの名物、ネタなどをのっけて、採算を度外視した(ような)豪華などんぶりを指すのだろう。
しかし、普通なら「満足丼」とか「北のスペシャル丼」のような名称になるのではないか。
つまり、買い手にとっての感覚が問題なのではないか。
それを「ウチは赤字覚悟で出してます」と言った自分だけの勢いを名付けてしまうのは、あまりに不遜ではないか。
「食べさせてやる感」に通じる不快さも残る。
食べなくともいいぞ、赤字丼は!
いや、そうでなく、ひょっとすると果実の赤い汁がかけられている丼も考えられるか。
「小さな人生の卒業式」
信号で止まった角にあるセレモニーホールの看板には、そんな一文がデザインされていた。
なるほどね。
北海道に限らず、小規模や家族だけの葬儀も多くなっているのだろう。
でもこれだと、比喩としての「卒業式」が「小さな」でなく、「人生」の方が「小さな」ととられないか。
そりゃあ多くの場合その通りの細やかさであることは認めるが、誰も葬儀屋に「小さな人生」とは言われたくないような気がする。
それから「卒業」というからは、「証書」が必要だけど、当人がもらえないんだね。
「人生の甘納豆」
いろいろなショップでお菓子などを見て、ネーミングに感心したけれど、ベストはこれかなと思う。
黒豆を使っていて、その横に記されたコピーもなかなか洒落ていた。
「黒(くろ)うかけますが 豆(まめ)にがんばります」
垢抜けなくとも、ダサくとも、しみじみとした味わいがあるコトバは心に沁みるものだ。