すぷりんぐぶろぐ

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小輪の力を、向日葵の句

2020年08月02日 | 雑記帳
 4月冒頭、「日々を信じてアネモネの句」という記事を載せてある。家人のフラワー作品に添える句を探してたどり着いたのが、「アネモネを抱けば上昇気流にのる(八木三日女)」だった。


 あれからちょうど4ヶ月が過ぎ、上昇気流という思いがどうだったかはさておき、フラワー作品はアネモネからアジサイへ移り、そして今回ヒマワリとなった。

 カウンターのレイアウト変更もあり、今は事務室に置いてあるが、それでも文化的雰囲気は大事なので、何か句を添えたいと思っている。
 イベントもあったので、少しばたばたして落ち着いて考えられず、まだ定まらない。



 ただ「向日葵」の句というと、その花の明るさとはギャップのある作品が多い(いや印象に残っているだけか)ような気がする。
 代表的なのは、これらだ。

 向日葵や信長の首切り落とす(角川春樹)

 向日葵がすきで狂ひて死にし画家(高浜虚子)



 歳時記を開いても、冒頭から著名な句人たちのこんな作品が目につく。

 向日葵や炎夏死おもふいさぎよし(飯田蛇笏)

 向日葵を斬つて捨つるに刃物磨ぐ(三橋鷹女)


 向日葵が感じさせる生命力の強さに、立ち向かうような心持になるのが表現者の性なのだろうか、などとそんなことを考える。

 ずっと見ていくと、例えばこんな無邪気?な句もある。

 ひまわりの百万本の笑ひ声(石井匡巳)
 
 向日葵の百人力の黄なりけり(加藤静夫)


 こういう明快、爽快さが今欲しいのかもしれないなあ。


 さあ、どんな句を添えようか…といろいろ調べて決めた句は…

 日の国の向日葵のこの小輪よ(山口誓子)

 仕事をする場に置いておくには、いい響きかもしれない。