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日本語の正体をあぶり出す

2020年08月29日 | 読書
 目次から引用する。「よろしく…という言葉は、一見、相手の意志や判断を尊重しているように思えるが、じつはすべての責任を相手に押しつけるまことに困った”呪文”である。」…どうだろう。言葉や文章に関心が深くなくともえっと思うのではないか。こうした日常語への深掘りが連続し、「日本」をあぶりだしていた。


 『日本語 表と裏』(森本哲郎  新潮文庫)



 取り上げられた語は全部で24。「よろしく」から始まり「やっぱり」や「どうせ」「いい加減」などだ。どれも納得できる。かの「よろしく」であれば、私たちが何気なく発する場合も、ほとんど相手に察することを要求している傾向があるではないか。「よろしく」は「よきにはからえ」という殿様用語の別言である。


 「やっぱり」「やはり」はさらに刺激的である。著者は「私はこの言葉こそ、日本の主語だと思う」と記している。つまりこの慣用語を使う時「私が思っていたとおり」という意味の他に、周囲もそう思っているはずという認識がつきまとう場合が多い。そうしたニュアンスで連発されている。次の文章は噛みしめたい。

 「やっぱり」とか「やはり」とかいう間投詞をさしはさむときには、「自分」という主語のほかにもうひとつ、「日本」という、あるいは「世間」という大主語が無意識のうちに予想され、前提されているのだ。


 こうした思考習慣が生み出す典型な語が「いい加減」ではないか。多くの人が、その語の二つの対照的な意味(「良い程度」と「デタラメ」)について知っている。何ゆえか。著者は日本の恵まれた自然とそれによる自然への甘えが根本にあると指摘する。つまり、自然に任せている楽観主義の表と裏なのだと結論付ける。