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この本で立ちどまる

2020年08月14日 | 読書
 「辞典」という語を、辞典で調べてみる。広辞苑では「⇒辞書①に同じ」と記されている。辞書①とは「ことばや漢字を集め、一定の順序に~~~」のことである。この本には「語りかける辞典」という副題があるが、語の意味を説明しているわけではない。新聞の投稿詩への選評を、テーマを設け集約した一冊だ。


 『風のことば 空のことば』(長田弘・いせひでこ  講談社)

 辞典と名づけているのは、五十音順にテーマを並べたからだ。長田が亡くなったあと、講談社編集部が詩人の生前の願いとして出版を望んでいたことを知り、実現させた形だ。選評ではあるが「短詩」と呼べる言葉が、絵本の共著者でもあるいせによって描かれた絵とともに構成され、類書のない形式に仕上がっている。



 冒頭の「あ」で取り上げられたのは、「あさ(朝)」「あめ(雨)」と「ありがとう」だ。最初の一行がいい。

 朝は、鏡のなかに、新しいわたしを発見する時間。

 子ども向けに書かれたことばなのだが、大人の読者にも十分に考えさせる幅や深度を感じさせる。詩人ならでは、のことか。「ことば(言葉)」にはこんな一節がある。

 ことばはね、その人の器なんだ。
 詩のことばは、どんなに大きな思いも入れられる小さな器。


 様々な角度から読み取れるような気がする。一行目~「器」は大きさだけでなく、形や色、材質まで想像できる。自分が声にする、文字にすることばがどのように人には見えているのか。二行目~ことばを多量に書きつければ、器だけが大きくなっていくのか。それとも、思いを受け止めるに十分な器をつくるべきか。


 この詩人がたえず「語りかけてきた」ことの一つに、今の時代に向けた警告があるだろう。それは直線的でスピードを求める現代社会の我々に確かに向けられている。「こころ(心)」にある一節は考えさせられた。

 心をからっぽにするために、走る。
 心をみたすために、歩く。

 あとがきで紹介された「立ちどまる」という詩の一節は、ひどく哲学的だ。

 立ちどまらなければ ゆけない場所がある。
 何もないところにしか 見つけられないものがある。