すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

禁断へ踏み込めば、そこに…

2020年08月09日 | 雑記帳
 もうそちらへ行ったら戻れないな、きっと…そんなふうに感じていた。どっぷり浸かってしまった顔見知りも知っている。だが、駄目だ駄目だと思いつつも、衝動を抑えきれずに新刊棚に並んだその一冊を手に取り、貸出カウンターへ差し出した。とうとう、ああ…と、まあ何のことはない、実は「大活字本」のこと。


 フォント数が大きく見やすい。高齢者のためのシリーズが複数の出版元から出され、我が町の図書館にも入っている。目がしょぼしょぼするお年頃に向けられた書籍だ。揃っているのは小説を中心にベストセラーや一定の評価を得ている本で、興味がそそられる。そこに登場したのが『なつかしい時間』(長田弘)だった。



 版は少し大きいが何しろ見やすいので、ラクちんに読めるなと思い、ベッドで開いてみる。・・・んっ、あれっ、何かおかしい。たいそう字は大きいし漢字も読める、が何か頭にするっと入ってこない。フォント、字間、行間がスカスカしているようで妙に落ち着かない。絵本の大きな文字とは、また違うように感じる。


 そうか、今の自分の読書法は一語、一文を黙読しながら追っていくパターンではなく、もう少し広く見渡して「範囲」で文章を見ている傾向があるようだ。元になる新書も図書館蔵書だったので、翌日それを借り直して開いたら、やはりしっくりと馴染む。単に大きければいいわけではないと、当たり前のことを知る。



 そしてもう一つ気づくのは、自分がいかに丹念な読み方をしていないか。これはここ20年ばかりの習慣なのかなあ。もちろん、気になった箇所は目を落ち着かせるが大方は流れている。もしかしたらその引け目があってこんなメモを残しているのか…。いやいや、そこまで貶めなくても…。まずは「読めばいい」のだ。