すぷりんぐぶろぐ

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活力という語に頼って

2020年08月12日 | 読書
 来春には名実ともに(笑)高齢者になる自分なのに、今月に入ってからなんて未熟なんだ、いつまでこんな事を!と思う出来事が続けざまに起きて、滅入った。「相変わらず進歩なし」と感じても必要以上に気鬱にはならなくなり、少し成熟したかと評価していたが、見せかけだった。「人間は変わらない」…家訓が重い。


 しかし、結局のところ居直る、誤魔化すしかないではないか。今回は「腹を立てた・怒った」ことや「だらだらと同じ事を続けていた」という行動パターンなので、これをひとまず「活力」と前向きな言葉に置き替えてみようではないか。そのうえで後押ししてくれるような「コトバ」を探せばよくはないか。少々安直だが。



 『みみずくは黄昏に飛び立つ』(新潮社)という対談集を読んだ。作家川上未映子が「訊く」役となり、村上春樹が「語る」構成である。村上ファンの川上が突っ込むので、著作をあまり読んでいない自分には難しすぎたけれど、ところどころに興味深い見識が顔を出して、面白い。川上が「死」を話題にふったときだ。

 村上はブルース・スプリングスティーンと同い年だそうで、そうしたアーティストとの交流も多いようだ。その経験から語ったのが、次の文章だ。

 別に若作りなんかする必要がなくて、ものの見方とか考え方が三十代であれば、それでいいじゃないかと思うわけ。そういう活力みたいなものが失われてきて、だんだん人が死に向かっていくというのは、きついと思うけど、まだ失われていない限りは、そこまで深く考える必要ないんじゃないかと。


 「ものの見方とか考え方」の質の問題であることは重々承知だが、とりあえず「活力」という語に頼る。肉体的な衰えはあっても精神的な点を維持できていることは価値と言えるのだ。古来の賢者たちも語ってきた格言だ。血の巡りを良くするのはやはり活力だ。でも、実は三十代レベルにも成れてない感覚がある。