すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「女らしさ」との邂逅

2020年11月12日 | 読書
 2008年にこの直木賞作品を文庫本で読んだ。小説好きとは言えない自分が、作家に少しハマって連続してその作品群を手にした記憶がある。今回、中古で単行本を買い求めたのはちょっとした理由があった。それはともかく、初読では印象に残らなかった点が響いてきたこともあり、いい再読となった。これも邂逅か。


『邂逅の森』(熊谷達也  文藝春秋)


 主人公はマタギである松橋富治。格闘する相手はクマ。もちろん山の自然、時代背景が彩る設定だが、読了して物語を進めていくうえで必須だったのが二人の女ということが、今回はしみじみと迫ってきた。主人公が歩む道を決める存在であるとともに、どの場所、どの時代にあっても揺らがない芯を感じさせてくれた。


 一人は、富治が生まれ育った村の地主の娘である文枝。富治と契りを結び、子をなしたことにより、富治は村を追われる。もう一人は妻となるイク。山間の極貧の家に生まれ身売りをし、その果てに村の厄介者として蔑まれていた所を、いったん離れたマタギの世界に戻ろうとする富治と出会い、強く支える存在となる。



 『図書』11月号(岩波書店)に畑中章宏という民俗学者が、「女らしさ」という題で寄稿している。そこで取り上げられているのは「近代日本で『女らしさ』を問題視した言説」で、代表的な例として与謝野晶子そして宮本百合子が挙げられている。この小説の舞台となる大正時代から昭和前半とぴたりと重なっている。


 旧来からの「女らしさ」という観念は、社会形成の変遷の中で男性が作りあげたと言えるだろう。与謝野も宮本もそれに対する懐疑を述べ、最終的に「人間らしさ」という点にたどり着いた。話に登場した二人の女性は、抑えつけられていた境遇の典型的人物であり、そこからの変貌は、そのまま当てはまると思う。


 形として双方とも「家」を守る旧態依然とした姿のままではあるが、それに到る展開は、まさに「人間」とは何かに向けての問いであった。二人が対峙したとき、言葉を交わさず頬を張り、張り返すことで「約束を交わした」場面は短いが、迫力が伝わってきた。ふだんもよく思うが(笑)、「女らしさ」の強さの本髄を見た。