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桜と絵本と豆乳と

小状況で本当のことを

2020年11月14日 | 読書
 好きな詩人は何人か挙げられるが、一番目にしてきたのは、まど・みちおか谷川俊太郎のどちらかではないか。ポピュラーであることは、より多くの人の心に字句を残している証拠とも言える。平凡な読者の平凡な心に着地する言葉、それは詩という形式をとらなくても、読み手のなかでは詩なんだなと改めて感じる。


『星空の 谷川俊太郎 質問箱』(谷川俊太郎 株式会社ほぼ日)


 同じ形の「質問箱」を読んだのは何年前だったか。今、検索してみたら10年前の正月…うわあ、こんなこと書いていたと久しぶりに現役感満載の文章が恥ずかしい.しかしそれに比べ今は、どこかしら達観に近づきたいという、どこかイヤらしい心根がある。老害か。まず目についたのが「忘れる」質問についての答。


 「忘れたことは、憶えていることよりも、深い心のどこかに保存されていて、それも自分を作っている一つの要素だと考えたい」…うーん、有難いお言葉だ。なんせ昨夜も夫婦で、ある女性同僚(二人とも一緒に勤務したことがある)の名前を思い出せず…はてに旧姓は覚えているのにと口にしたり…、混乱は救われる。



 たくさん心に残りそうな字句があったが、これは書き抜いて自分に念押ししようと思った一言がある。「本当のことを見抜くには」という質問に対して、メディア上で難しいとしながら、次のように答える「『本当のこと』が分からない大状況の中で、小状況での『本当のこと』の経験を生かすことはできるのではないか


 些末主義ということなかれ。昨日記した「ゴミ」の件も全くそうではないか。否が応でも次々と情報が押し寄せてくる今だから、仮に半径数メートルの場であっても誠実に手応えある言動を心がけたい。この「質問箱」に触れて、ある新しい思いつきが生まれたし、踏み出せば小状況をさらに充実できるかもしれない。