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中学生へメッセージ②

2020年11月26日 | 教育ノート
11./24図書館出前講座より

 中学校への資料提供(というか激励文だな)の二つ目は、「総合的な学習の時間」のことだ。中学生相手にこんなことを記すのは、立場上「読書」へ結びつけることが使命と言えるからだ。書きながら、改めて自分の教職歴の中で、いわゆる「総合」創設の意義は考えさせられた出来事だったことを思い出す。

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◆今、君たちが活動しているのは、「総合的な学習の時間」という枠。この時間は、今から約二十年前に始められた。国語や数学などの教科、また道徳・特別活動とは違い、学校ごとにその内容が定められる。
 小学校では例えば「〇〇タイム」などと名づけられ、様々な活動をしたはずだ。福祉や情報、国際理解を学んだこともあったろう。郷土芸能に取り組んだ人もいるかもしれない。多くの中学校では、今取り上げている職業や将来の生き方なども、この時間で扱われる。
 
 さて、ここで改めて考えてほしいのは「総合」とは、いったい何を学ぶのかということだ。「横断的・総合的な学習」そして「探究的な見方や考え方」というキーワードがあり「学び方」を身に付ける機会という点は多くの人の共通の考えであった。では、どう具体化するか。
 この時間のあり方をめぐって、教育関係者たちが盛んに議論をしていた頃、宇佐美寛(千葉大学名誉教授)という研究者は、「総合」を学ぶ姿として、つまりこれだけが実現すればよいのだと言い切った。

 「 体験 ⇔  読書 」

体験と読書の往復運動」があることこそ、総合の学びの姿である。
 
 直接見聞きし、感じたことを受けとめて、テキストに向かう。そこで得たこと、考えたことをもとに動く、試す、そしてまた本へ…。学びとは足を止めないことだ。

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 あれから20年以上が過ぎている。
 学校における読書活動はどう推移したのだろう。
 自省の念を込めて語れば、「総合」の理念とは別の思惑ともとれる学力検査の悉皆実施が大きく足を引っ張った印象が残る。

 踏ん張りどころは今もあるか。