すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

言葉を蔑ろに加速するな

2020年11月11日 | 読書
『日本語を、取り戻す』(小田嶋隆 亜紀書房)からの連想、もう一回。


 要するに、幅広く物事を考え対処しようという姿勢ではなく、パッパッと物事を決め、ドンドン進めていかなければ、取り残されていきますよ、そのためにはオカミの言うことを聞いてください…といった雰囲気いや「空気」の醸成は、高度成長が終わりバブルがはじけ、大震災を経験する中で、つくり上げられてきた。


 わが師の教えの一つに「何でも言える子ではなく、言うべきことを言う子に育てよ」がある。自省を込めて思う。どんなことでも臆せず言う人間は増えたが、言うべきことをきちんと声にする人間は少なくなった。それはつまり、自分の考えや感情にしっかり向き合い、使う言葉を選択、決断する習慣の衰えではないか。



 一方「怒り」が悪の感情として受けとめられ、いかに逸らすか、なだめるかばかりが強調される世の中になった。これは客観的、冷静であるという側面とともに、どうしても打算的で利己的な精神ばかり膨らませているようにも感じる。そこに使われる言葉は、無味無臭とは言わないが、誰にも伝わらず蓄えられもしない。


 TV、ネット上ではお笑い芸人や俳優などがよく政治的なことを語っている。それ自体は何も悪くない。しかしそれで稼ごうとしていたり、自陣に有利さを与したりすることは違うのではないか。この国のそんな状況に慣れっこになった感覚を今、もう一度反省するべきだ。それはここ十年ほどで怖ろしく加速した。


 そこを担った前政権支持率が若年層で高かった理由…著者の見解に今さら納得がいく。スローガンの一つ「戦後レジームからの脱却」に対して、若い世代には保守の安倍氏が「『革命』を志しているように見え」たらしい。作り上げられた体制が、若者に窮屈なのはいつの時代も同じだ。歴史はそんなふうに廻っている。