すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

休日のカメラ話、このあたりで

2011年02月14日 | 雑記帳
 ソニーのサイバーショットは、高倍率ズーム、モニターの大きさ、綺麗さが魅力だった。
 http://www.sony.jp/cyber-shot/products/DSC-H7/

 しかし、またまたここでも愛人登場(笑)ということになり、サイバーショットシリーズのT70を買うことになる。
 http://www.sony.jp/cyber-shot/products/DSC-T70/

 本当に懲りない人である。
 といっても、どちらともよく活用できたし、満足している。モードダイヤルが緩かったりする小さな不満はあるが、手軽さ、薄さ、顔認識など便利さは高まる一方。
 ただあまりに便利すぎて、撮る感覚が薄くなった気がしたのもこのあたりだったろうか。

 そういう充足できない自分を惹きつける一つのモデルが発売された。
 カシオの再登場である。
 HV以来、あまりいい印象を持つことがなく敬遠していたのだが、連写ということに強く惹かれた。
 カシオFH20である。
 http://casio.jp/dc/products/ex_fh20/
 
 倍率はサイバーショットでも不満はなかったが、どうしてもスポーツなどを撮るには上手にいかない。FH20の一秒間40連写という謳い文句とCMは強く印象に残った。
 ハイエンドと言ってももはや一眼でない限り値段はそう高くはないし…という物欲派の自分が強く出てしまって、さらっと買ってしまった。

 特に子どもたちの競技を撮るときに役立っている。ただタイムラグがあり、そのあたりが一眼の連写とはちょっと違うと、多少の不便さとイライラ感があるのは確かだ。
 ここ二年ばかりは、ソニーの二つとカシオを併用している。T70が時々トラブルを起すので寿命なのかもしれない。

 さて、それにしてもこう書いてくると、いくつか特徴があることに改めて気づく。

 一つは購入しているメーカーのことである。
 キャノンやニコンなど本流?がない。ややへそ曲がり的性格がよく出ている。

 もう一つは、一台使いこなしではなく、基本的に二股かけということである。どうも自分は他のことでもそういう傾向がある。

 新しいカメラを選択するにあたって、それらは改まったのだろうか。

 いや、何を今さらである。

 先日初めて購入したデジイチは、ソニーα55である。
 http://www.sony.jp/dslr/products/SLT-A55VL/

 またしてもキャノンやニコンなどには手が出なかった。
 この55はエントリークラスだが、ミドル並みの性能で買いたかった理由を一番よく満たしてくれていた。
 先週、スキー場で初めて撮ってみた。本体、レンズの重み、脇をきちっと締めて安定させることなど、カメラで撮っているということを久々に思い出す瞬間だった。
 後は自分の技術を高めることだ。スタートブックも買ったことだし…。

 さて、愛人カメラも(この言い方もなんだかなあ)、ソニーT70の引退に伴い、ちょっと小粋なリコーCX4に決め、昨日送られてきた。
 http://www.ricoh.co.jp/dc/cx/cx4/

 しばらくはこの相手と一緒にバシバシやっていこうと思う。

休日のカメラ話、続き

2011年02月13日 | 雑記帳
 初めて買ったカシオのXV-3。
 http://www.digicamezine.com/digicame/kisyu/xv-3.htm
 
 当時の300万画素は画期的だった。他に廉価なものはあったが、スタイルも気に入ったのでチョイ高級感を求めて購入したのだと思う。
 結局あまりいい印象がないのは、性能をどうのこうの言える腕はないので、見栄えとか使いやすさがポイントだったのだろう。いや、使いこなせるほどの知識もなかったのかもしれない。

 確かキタムラの店頭で買った。ほどなくレンズ周りに小さい傷があることが気になって仕方がなかった。それが妙に懐かなかった原因の一つと思えることは少し情けない。(実際は本体でなくカバーシールについた傷だったというオチがあった)

 その頃は、まだデジタル一眼は一般的ではなかった。
 けれどガツンとしたのが欲しいなあと思って、二代目として選んだのがフジのファインピクスS602だった。
 http://www.digicamezine.com/digicame/kisyu/finepixs602.htm

 これはいわゆるハイエンドと言っていいモデルだった。かなり奮発して手に入れた記憶がある。
 ずいぶん活用したカメラだ。行事や諸活動を本当に撮りまくった。

 たまには、自分でもいいなあと思える景色や植物などをおさめることができた。
 ホームページの表紙にしてある写真もその一つで、保護者が学校の樹木の冬囲い作業している朝の風景である。

 私にとっては愛すべき相手だった。
 ただこのS602はどうも大きくて重いのが難点で、やむなく愛人(笑)として、コンパクトなA203というモデルも併用したのもこの頃だった。
 http://www.digicamezine.com/digicame/kisyu/finepixa203.htm

 手軽に持ち歩け、パチパチできるというよさを十分に感ずることができた。
 しかし、ここでもまた浮気癖というか飽きっぽい性格が顔をだして、A203じゃあチープだからワンランク上の愛人を…と漁り始めて、決定したのがコンタックスTvsというモデル。
 http://www.digicamezine.com/digicame/kisyu/contaxtvsdigital.htm

 CONTAXというブランド。500万画素、カールツァイスレンズ、そしてチタンのボディがなんともいい味を出していた。
 これは実にカメラらしいカメラで、今となってはかなり性能は落ちるが車の中に常時置いていて何かの時に使っている。
 
 なんといってもボディの触り心地がいい。シャッター音も気に入っている。ちょっと格好つけて言うと、カメラは撮るだけでなく、感ずることも大切と思わされたモデルである。
 京セラが発売していたのだが、間もなくこのブランドでは発売を止めた。価格も高かったし限られた購買層だったのだろう。もし継続したシリーズだったら、今でも選択候補に挙がるだろうと思う。

 EOSなどによってデジタル一眼が普及し始めていて、周囲でも持つ人が現れた。また画素数の進歩はまさに日進月歩。しかし自分としてはそこが関心の中心ではなく、ズームと画像モニターだった。
 もちろん価格のことは常に頭にあるわけで、フジからS602と使い心地が同様なモデル(基本性能の違いはあるが)が半値ほどで発売されたときはちょっとショックだった。

 それでも602を結構愛用できたのは、学校の仕事として使い込んでいることに満足感があったのだと思う。
 その満足感に陰りが見えてきたのは、やはり時の流れか。
 目移りしたのは、ソニーのサイバーショットH7だった。
 http://www.sony.jp/cyber-shot/products/DSC-H7/ 

別れた相手を語る

2011年02月11日 | 雑記帳
 趣味が写真だとは言えないし、カメラ愛好者などと思ってはいないが、結構、買ってしまっている自分がいる。

 かなり以前から、いわゆるデジイチには興味を持っていた。
 フィルム時代に安い一眼を買ったこともあり、当時はそれなりに面白かったので、デジタルでもと思う気持ちはあったのだが、コンパクトでも高倍率はあったし、踏み切れないでいた。

 しかし、やはり圧倒的に値段が下がってきたし、ずいぶんと小型化されたし、買ってもいいかなあと年初めから考えていた。
 使いこなせるかな…今持っているので十分…いや、コンパクトの安いものならさらにいいよ…と何度も逡巡しながら…物欲の沼に引きずり込まれて、価格com.の餌食になる。

 「購入する」をポチッとクリックした瞬間、ふっと反省する気持ちがわいたのも変なことで、そんなことを繰り返してきた自分に痛みを感じたのだろうか。

 少し紛らわせてみようと、今まで付き合ってきたデジカメについて振り返ってみることにした。

 別れた女を語るようで(語るべきものもないのにこんな比喩をつかう)、付き合い方についていい反省材料になるかもしれないし、ちっとも役立たないかもしれない。
 それでも、そろそろいい機会だろうと思う。

 さて、初めてのデジカメは自分が買ったものではなく、職場にあったもの。
 これはかの有名なカシオQV-10である。
 http://www.digicamezine.com/digicame/kisyu/qv-10.htm
 http://ja.wikipedia.org/wiki/QV-10 
  
 歴史的なモデルである。

 この回転式のレンズがなんとも言えなかった。
 担任を外れた三年目から学校報を書くことになって、フィルムで撮ったものを印刷機に書けるのと併行して、デジカメをNECのワープロ!にビデオ端子でつないで取り入れることを試みた。
 画質は当然粗かったが、こりゃ便利だなあという感覚を持ったことを覚えている。

 もう一つ印象深いのが、ソニーFD5である。これは多くの学校で使われたのではなかったか。
 http://www.digicamezine.com/digicame/kisyu/mvc-fd5.htm

 図体のでかいモデルだったが、なんと言ってもFDの存在である。この便利さはワープロや95パソコンの時代は有り難かった。
 今思うと、FDの書き込みなどもずいぶんと時間がかかったような気がする。

 デジカメが頻繁に使われる一歩手前の時期で、職場でも比較的自由に使えたのだが、やはり個人で所有したいなあという気持ちが高まってきてとうとう購入したのが、カシオのXV-3というモデルだった。
 http://www.digicamezine.com/digicame/kisyu/xv-3.htm
 
 しかし、この初婚(笑)の相手とは残念ながら相性が良くなかった。

反対言葉の群生地はここにも

2011年02月09日 | 読書
 徳永進という方が、「反対言葉の群生地」と題した文章を『図書』(岩波書店)に書いていた。医療現場にいる著者が患者に接するときの言葉を取り上げて考えている内容で、実に興味深かった。

 がんの告知場面やホスピスでの言葉かけでは、一面的に正しい言葉が存在するわけではない。
 ただそのことを頭で理解していようとも、そこに一般的な常識や利己的、打算的な要素が入り込んだ時、発した言葉が一方的な響きを持つことはよくあるのかもしれない。
 
 「反対言葉」というキーワードを持つことで、一つ一つの局面において複眼的、共感的な言葉かけができたらとても素晴らしいことだろう。それには多くの「臨床」の場を踏み、患者や家族の気持ちに寄り添う経験が不可欠である。
 そこで発せられる言葉に耳を傾け、心を傾けてみることによって、水辺の植物のように様々な言葉が群生していくのかもしれない。そんなイメージが浮かぶ。

 臨床は医学用語であろうが、教育臨床という言葉も使われることから考えて、当然教育と共通する教えも多い。

 共感は大切だけど、共感という言葉だけがあがめられると、共感は臨床で力を失う

 受け身の踏み込み


 なかでも、出典は書かれていないが「名言」として紹介された言葉は、そっくりそのまま教員にも当てはまるのではないかと思う。

 「臨床家であろうとするなら、どんなに面白くないことからでも、面白いことを見つけ出す才能がわれわれには要る」

 子どもがいる以上、面白くないわけがない。

 昨日のスキー教室で、いわば下位ランクでマンツーマンの指導をうけた子どもがいる。最初は坂を上るのもおぼつかなかった彼だが、後半にはどうやら頂上から滑り終えることができた。
 終了後疲れきって立ち上がれなかったが、ようやく片付いた時に
「怖ろしいほど、簡単だった」という感想をもらした。

 何をたわけたことを言っていると笑ってはいけない。
 その言葉には、やり終えた解放感が満ち溢れているのだ。
 複雑・困難だった時間が長かったからこその表現だった。

 群生地は今まさにここにある。

長い仕切りを続けてもいい

2011年02月08日 | 雑記帳
 かなり以前から読み始めたのだが、少しずつしか読み進めていない本がある。

 『日本語作文術 ~伝わる文章を書くために~』(野内良三 中公新書)

 いずれ全体の感想は書きたいと思うが、昨日たまたま読んだ箇所から思い浮かんだことを少しばかり…。
 「帰納論証」という章で、筆者が提示した例文である。

 日本人は常なきものに怪しく魅かれる不思議な国民である。

 「常なき」とは、無常観、はかない、ということだろう。
 その一つめとして桜が挙げられた。しごく当然である。
 二つ目は花火。これも納得である。日本人の花火好きはやはり他国の比ではないと思う。
 花火の系列として、シャボン玉遊び好きが軽く書かれている。これもなるほどと言っていい。
 そして、三つはこう来る。

 花火を愛する日本人は相撲を愛する国民でもある。

 ほほおっ、確かに。
 他の格闘技と比べものにならないほどの試合時間の短さ、そのことに何か不満をもつ国民はどれほどいるのだろうか。
 むしろその短さが魅力の一つとなっていることもあるだろう。筆者はこんなふうに書く。

 長い仕切り時間は一瞬の勝負を際立たせるためのお膳立てとも思えるほどである。

 日本人は瞬間的なものに嗜好を寄せる、と筆者はまとめる。
 そこに認める美の在り様は、どこか心の奥深く(もしかしたら何かのDNAですか)とつながっている。

 さて「常なき」の現象面だけを見て、それを「潔さ」に結びつけることはごく自然だ。
 ただそれがねばり強く議論を重ねたり、対応を練ったりすることを避ける方便にされても困る。

 桜も花火も相撲も、本当に多くの人間がかかわってその文化を築いてきたが、人がいる以上は裏で汚れる部分は必ずある。
 そこを踏まえてなお、桜や花火は、そういう醜さ、汚れを超える輝き、つまりは一瞬に力が結集される姿で楽しませてくれる。

 相撲はどうですか。
 相撲はどうなりますか。

 対象が人間であることは、これほどまでに重くどうしようもないものを抱えている。
 長い仕切りを続けてもいい。

ひと休みと思った、結末

2011年02月06日 | 雑記帳
 火曜には晴れ間がのぞき、水曜からいい天気が続いた。
 金曜は2年生のスキー教室があり同行して、子どもたちのがんばる姿などを撮った。
 →三つの輪Webへ

 休憩しているときに、近くの樹木を何気なく見たら、その小枝たちさえも何か喜びを感じているような気さえしたほどだった。
 思わず撮った1枚はこちらへアップ

 その夜は久しぶりに友人と一献。
 「今週は雪下ろしはいらないだろ」と、ほぼひと月、週末ごとに続いた雪との戦いも停戦したようだと安堵する気持ちで、心地よく飲んだ。

 翌朝は小雨模様。少し酒は残っているが重労働がないから楽勝だなと、気だるい体調に身を任せていた。
 雪消しのためにフル稼働している自家水道だが、重みで押されて変形してきているフェンスの方へ水を出すためホースを廻そうと、外に出て蛇口をひねった時だった。

 突然、水が止まった。
 えっ、と思った。こりゃあ、やばい。
 地下水を汲み上げるこの自家水道のおかげで、この雪を乗り切ってきたと言ってもいい。
 電源だろうか、それともポンプ本体だろうか…。
 いずれにしても、ポンプを確かめなくてはいけない。仮に業者を呼ぶとしても、ポンプの場所はわかるようにしておかなければ…。

 ここですっと酔いが醒める。

 ポンプは車庫の隣。二回雪を下ろした場所である。
 もう屋根の高さまで雪が達している。
 雪国の人ならわかるだろうが、下ろして固まった雪、その後の好天によって少し沈みながら重さを増した雪である。

 材質が堅めのスコップを、この冬に二つは破損している。
 残る一本を持って、それ以上の堅い決意を持って乗り込まなくてはいけない。
 雨が降り続く。
 軒下を通ってわずか数メートルの場所であるが、ずいぶんと遠くに思えてくる。
 映画『八甲田山』の名セリフ…「ああ、天は、我を見離したか」
 この冬何度も呟いたセリフをまた言おうと思って、ふと気づく。
 
 天ではなくて、機械なんだよね。さすがに機械だって疲れるでしょ。ここまでよく頑張ったなと、いたわりの気持ちで雪を掘ってあげねばなるまい、と気分を引き締める。

 それにしても、2メートル半はある。ああ…

談志噺その了

2011年02月05日 | 雑記帳
 立川談志と言えば、私の世代では「笑点」となる。
 そしてその後の政界進出まではずいぶんとマスコミに取り上げられたので、ある程度知っているつもりだ。
 政界を辞めてからの落語界の騒動は、のちになってから知ったもので、それほど興味はない。ただその流れがなければ今の立川流の噺家たちの成功はなかったような気がするし、談志の功績?はやはり大きい。
 本当は落語名人として不動の位置にあることだけが肝心なのだろうが、残念ながらまだ噺を聞く機会に恵まれていない。

 しかしあの口調や表情など、幼い頃から幾度となく画面で接していて、ある意味では強い談志像が、自分の中に在る気がする。
 その談志像に近い人間が、自分の周りにもいた。
 二人がはっきり思い浮かぶ。

 一人は叔父である。
 十歳ぐらいしか違わないので、幼い頃からよく面倒をみてもらった。学生時分にも田舎には珍しいべらんめえ口調だったことが印象に残る。都会に出て会社を興し、ばりばりと働いていた。大学受験の時で上京したときも様々な話を聴かせてくれた。
 そのひとつひとつを思い出すことはできないが、18歳の自分がいかに臆病者であるかを感じたことは覚えている。

 もう一人は、教員になった頃からの知り合いで、役場務めの方である。
 子どもを対象とした様々な事業で一緒になり、仕事以外の部分でもずいぶんとお世話になった。直情的なところがありいろいろな悶着を起こす方だが、何故か私は可愛がってもらった。
 ある時は怒り、ある時は諭し、ある時は美声で歌い…いくつもの楽しい思い出がある。

 談志の持っているイメージに近い部分は、やはり口調なんだろうが、改めて考えてみると、自分の目線が明確である、自分の気持ちに正直であるといったことが下地にある。
 だから私にとって、この二人はある意味で尊敬に値する、羨ましい存在である。
 いや、だった。

 無念なことだが、二人とも数年前に五十代半ばで急逝した。

 無礼な言い方と承知のうえで、私にとってそれは偶然とも思えず、ある意味の宿命のように感じている部分があることを認めよう。

 業を肯定して生きていくことは命の力を弱めるのではないか…。

 生き永らえているといったら失礼だろうが、談志七十六歳の落語を生で聴いてみてえなあ、と思う。
 どこかに二人の姿を見いだせるかもしれないなどと想像してみる。

談志噺その弐

2011年02月04日 | 読書
 『人生、成り行き~談志一代記~』(立川談志 新潮文庫)


 談志が語る

 この人とならば、なんとかドロップアウトしないで済むだろうナと思って一緒になったわけですけどね

 談志のおかみさんの話がほんわかとして面白い。

 「則子(のんくん)語録」と名前をしたためたノートがあるそうだ。

 「パパは一番大切。でも何もしてあげられない」

 「お風呂もプールも大丈夫なんだけど海は苦手。だって、つかまるところがないから」


 いわゆる天然ボケタイプなのかなあとも思うが、なかなか渋く、哲学めいているところも凄い。

 ずいぶん不精らしく、掃除をしない奥さんに談志が「何で掃除しないのかね」と尋ねたという。その答がこうだ。

 「だって、掃除って、日本中のゴミをどこかに寄せているだけでしょ」

 談志は、この家庭に、このおかみさんに一部帰属していたわけだ。伴侶とはそういうことだ。

 こういう価値観とつながっていることは、けして常識の罠みたいなものには引っかからないと思う。

談志噺その壱

2011年02月03日 | 読書
 『人生、成り行き~談志一代記~』(立川談志 新潮文庫)

 聞き手が評論家の吉川潮。立川流の顧問にいる彼であったからこその企画だったと思う。
 生い立ちから様々なことが語られるが、やはり一番興味深い言葉はこれだった。

 人間の業の肯定

 世間の通念の嘘を見事に見せてくれる落語という存在には、そういう面があるように思う。
 「人間は業を克服するものだ」という通念が社会になければ、混乱は避けられない。業を全て認めることによって成り立つ社会など考えられない。
 しかし同時に、業そのものを全否定する文明も在り得ない。
 だからこそ芸術が生まれたという論も出てこよう。
 様々なジャンルで人の心を打つものは、けして清廉潔白や純情無垢なものでないことは少し考えればいくつも思い当たる。

 落語はその意味できわめて直接的であり、笑いも泣きも業の深さや根強さに左右される。登場人物のどの言動に寄り添えるのか、一度分析してみることも面白いかもしれない。

 もう一つ、気になった言葉がこれである。

 人間は自分を安定させるためにいろんなところに帰属するし、他人を見る時も、どこかに帰属させることで安心します。

 自分は所属意識が強い人間のひとりだと思うので、この部分を読んだ時は少しどきっとした。見事に言い当てられているような気がした。
 しかし所詮この程度の器と割り切れば、何かに帰属していることはある面の強さに通ずるのではないか。

 「落語に帰属する、落語に縋る(すがる)」という表現もでてくるが、縋るは「たよりとする」という意味の前に「結び目ができる」ということである。
 帰属していることを自覚さえしていれば、何に帰属しようが、どれほど多くに帰属しようが、レパートリーととらえてもよくないか。
 もちろん、帰属しきれない自分の部分もあるわけで…そこも注意深く見ておくことだ。

ごく、かるうい読書メモ

2011年02月02日 | 読書
 お気軽読書ということで…

 『イン・ザ・プール』(奥田秀朗 文藝春秋)

 以前読んだ『空中ブランコ』が面白かったので、そのルーツと言われるこの作品を読んでみた。主人公である精神科医伊良部のデビューとなる小説だ。

 本当にお気軽に読める内容だと思う。
 伊良部の「無敵さ」は魅力的だが、このデビュー作ではややこなれていない。単にアホらしさが強調されているような気がした。
 その点『空中ブランコ』では、謎の部分が秘められている印象がある。作者の中ではキャラクターが決まってはいるんだろうけども。
 教師版という発想もあるかもしれない。

 さて、これは映像化だなと思っていたら、案の定連続ドラマが始まっていた。日曜深夜だったので録画しなくちゃと思っていながら失念。ああ残念。
 それにしても、伊良部があの徳重某という俳優では、あまりにイメージが違い過ぎではないかい。尖端恐怖症のヤクザ役は西村雅彦。これは納得だなあ。
 もう見なくても想像できる。


 『さまぁーずの悲しい俳句』(宝島社)

 さまぁーずはファンということではないが、鋭さを感ずることがあり結構注目している。
 大竹・三村というコンビのよさが、この本でも発揮されている。

 大竹がボケで俳句を詠み、それを三村がツッコム。
 内容は「悲しい」。本当に悲しい、寂しい状況をうたったものもあれば、単なる言い換えあり、パロディあり、わざと外したものあり、ずらしあり…となって、そこにいちいちツッコム。このリズムが絶妙だ。
 まさに繰り返ながら小さな変化を連続させていく。

 真似をして悲しい俳句をひとひねり。(こんな感じということで)

 ふぶきの日 ガリットアイスを 外で食ひ 
 
 
 修業かよ!