冬季間の留守と京都の病院での定期検査以外は生家に居て、1年の半分以上を過ごしていても住民票を移さずに中途半端な状態なので、プロパンガスは引き上げられてしまっている。
それでガス・カートリッジの卓上コンロ2台を使っているのだが、本日はあわや失火となろうかという失敗をした。
2台とも使っていて、1台の火が消えたので、新しいカートリッジを入れようとしたのだが、その時にやってしまった。
空になったカートリッジは市役所の注意書き通りに穴を開けて、しかるべき日に廃棄する。
開け方は出刃包丁の手元側の刃部分をカートリッジに振り下ろして楔形の穴を開ける。
空のカートリッジを取り出してから、それをやれば良いものを、新しいカートリッジを保管場所から先に持ってきてしまった。
そうして、出刃包丁を持ち、空のではなく満タンのカートリッジに出刃包丁を振り下ろしてしまったんである。
いきなりブシューと白い霧状ガスが噴出してから間違いに気づいた。
すぐ隣の卓上コンロは点火中で鍋が掛かっているし、換気扇も回していないし、シンクの前のサッシ窓も開けてない。
台所への入り口は開放なので、わたしはブシューと噴出中のカートリッジを持って台所から飛び出すべきだった。
台所から直ぐの玄関内部では蚊取り線香をくゆらしていたので、そこを突っ切って茶の間に行き、廊下から窓を開けて外に放り投げるべきだった。
『べき』は後の祭りということで、実際のわたしはカートリッジをシンクの中に放り投げて玄関の方へ逃げたのでありました。
一目散ではなく、横目に見ながら、後ずさりで、一部始終を見ようとしていたのでありました。
引火するだろうということは直ぐに思ったが、恐怖までは感じないでいた。
たぶん約1秒後にブワッと紫の炎が広がり、シンク横で火がチョロチョロ燃え出した。
鍋を掛けたコンロは何事もなかった感じで、ちゃんと燃えているし、大きなダメージはなかったと感じた。
1秒後にとって返し、燃えているコップ洗いブラシをシンクに投げ入れ、窓を開け、換気扇を回した。
ラッキーだったのは、カートリッジを床に落とさなかったことかも知れない。
引火してブワッと火が回った時に見た炎によって、ガスの濃度分布が一様ではなく、所々で違う燃え方をしたことが見てとれた。
瞬間的な爆発的燃焼による被害は、洗剤のラベルが焼けた、スプレー引き手が部分的に焼けて使えなくなった、スポンジを入れていたトレーが熱で溶けた、網戸の網が燃え溶けただけ。
二度とできない、してはいけない経験ができたことは良かったかもしれない。
面白いことに、シンク周りに飛んでいたコバエが一瞬で焼殺されたのか、見えなくなった。
網戸はガラス窓が閉まっている外部なのにどうしたことだろう。
おそらく吹き出したガスは上昇した後、ガスの重さでサッシのレール下に溜まり、そこで引火が起きたから、外にも漏れ始めていたガスが燃焼し、炎が網を燃やしたということか。
それにしてもこの頃、意識が連続的に集中力を保っていられなくて、こんなことが起きるのだろうか。
破線のような意識の流れなのか、記憶力も読解力もそのようであるのか。
亡き母は、ガスコンロの点け忘れからか火事を出しそうになり、それから火を使うことをやめてしまったそうだ。
これは姉から聞いた話だが、その頃から急激におかしくなっていったようだという後日談なのだった。
わたしもその血を引いているので、十分に気をつけるべしなのだが、今回くらいの失敗でめげるわけにはいかない。
まだまだやる事やりたい事はいっぱいあるのだからして、とにかく火の用心。