鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

限界あるいは境目

2021年07月05日 16時28分16秒 | アングル




日常生活全般の中に限界あるいは境目がはっきりとしていないものはいくらでもある。
機器類なら取扱説明書に性能が数値化されて書いてあるけれど、シンプルな道具類は使いながら常識的に判断していくしかない。
いつも限界はどれくらいか見極めたい私は、ついつい度を越してモノを壊したり失敗したりする。
今回はガラス瓶の底が抜け牛乳1合以上を台所にまき散らしてしまった。
カスピ海ヨーグルトが上手くできているので、いつものやり方でガラス瓶を熱湯消毒した。
煮沸消毒なら鍋たっぷりの水にガラス瓶を沈めさせておいて沸騰させたら完璧だけれど、そこまでしなくても、450ml瓶2本だけだから少しのお湯を瓶と蓋に注いでゆすいだら良かろうと、そのようにしてきた。
ガラス瓶に熱湯を注いでも割れることは今まで一度もなくて、意外にガラスは大丈夫なものだという確信がある。
今回もそのように熱湯消毒をして、そのあと、冷蔵庫から出した紙パック牛乳の口を開け、いつものように迷いなく瓶に注ぎ込んだ。
半分近く注いだところで、『ピキッ』というイヤな音が聞こえた。
注ぐのはやめて、瓶の底近くを持ったならば、シンクまでずらすか持ち上げるかできたかもしれない。
でも、イヤな音はしたけれど形は保っているのだから大丈夫だろうと思い込んで、瓶の上の方を持ち上げてしまった。
数センチ持ち上げたところで底が抜け、牛乳はほぼ全量床に散ったのでありました。
久しぶりに台所の床拭きをする羽目になり、牛乳の脂肪分でワックス掛けをしたような次第。
冷蔵庫から取り出した牛乳が意外に冷えていたから、温められた瓶と牛乳の低温の温度差に限界を超えてしまったのだ。
またひとつ限界あるいは境目を発見して生活の知恵が増えた。
小さな失敗の積み重ねが大きな失敗を防ぐ、あるいは、小さな失敗を重ねることで大きな成功はもたらされるのだと思いたい。
2枚目の画像はマメコガネが重なっているのだが、後尾はしていない。
後脚をピンと上げて『何もしてません』と示しているような、単なるおんぶ状態なのは、メスの受け入れを待つ態勢か。
とりあえずしがみついて、隙をみてというのか、その時を待つというのか。
タチアオイの葉っぱや花びらをモリモリ食っているのはメスばかりなのか、どういう限界あるいは境目があるのか。
コメント (4)
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