産経新聞2007年9月22日に「中学の武道必修化」ということでアンケートが載っておりました。そこの解説に「文部科学省の諮問機関『中央教育審議会』の専門部会は、中学1、2年生の男女を対象に、保健体育の授業で、現在は選択制の武道とダンスを必修化することを大筋で了承した。今年度内に改定される予定の学習指導要領に盛り込む見通しで、早ければ平成23年度にも実施される。・・・」とありました。
その同じ日の同じ新聞。連載コラム「緯度経度」に「柔道にみる日本の主張」という文章が載っておりました。古森義久氏が書いております。
そのはじまりは
「リオデジャネイロでの世界柔道選手権で日本選手への判定が論議を呼んだことを知って、日本にとって柔道も外交も同じだなと感じながら、かつて自分がワシントンからリオに飛び、柔道取材をした体験をつい想起した。1978年11月、たまたま今回と同じリオでの第5回世界学生柔道選手権だった。当時、毎日新聞のワシントン特派員だった私は学生時代に自分も柔道に励んでいたことから、とくにこの取材を志願した。」とあり、
つづいて具体例を示したあとに
「・・このころから不可解な判定に悩まされていたのである。このときの日本の監督がかの有名な神永昭夫氏だった。神永監督は正面からこの判定に抗議し、撤回を求めた。運営側はその抗議を英文の書面で提出するようにと指示した。すると、神永監督はすたすたと記者席の私のところに歩いてきて、『いまから私の抗議の口述を英訳してください』と要請した。私の大学柔道歴や米国駐在を知っていての注文だった。柔道を経験していて神永氏の要請を断れる人間はいなかった。私は報道業務を一時中止して、必死で和文英訳に取り組んだ。文書で出された日本の抗議も結局はいれられなかった。だが抗議の事実と内容ははっきりと記録に残った。曲がりなりにも日本の対外発信はここで公式に認知されたのである。」
ここから、井上康生、鈴木桂治両選手の判定に話題が及ぶのです。
古森氏は、全ブラジル柔道有段者会の関根隆範副会長(六段)と全日本学生柔道連盟の植村健次郎副会長(六段)のお二人の意見を聞き、それを記したあとに
「日本選手の行動としては異例だった。それほど判定は認め難かったのだろう。だが日本選手団がコーチらを通じて正式に抗議をしたという形跡はない。この点、前述の関根氏は『日本として徹底的に正式に抗議をすべきだった』と述べる。植村氏も『抗議だけでなく審判員の質や能力、そして審判規則のあり方まで日本が日ごろ発言し、主張をぶつけておく必要がある』と訴える。」
だいぶはしょって意味不明になるのも恐れずに文章の最後を引用しておきます。
「要するに日本の対外発信だろう。・・・・個々の具体的部分だけでなく、全体の構造的な国際ルールづくりにまで発信や関与が欠かせなくなった、ということだろう。日本の柔道が抱えるこうした対外発信の課題は、日本の外交から国際社会へのかかわり方全体にまで共通している、と感じた次第だった。」
その同じ日の同じ新聞。連載コラム「緯度経度」に「柔道にみる日本の主張」という文章が載っておりました。古森義久氏が書いております。
そのはじまりは
「リオデジャネイロでの世界柔道選手権で日本選手への判定が論議を呼んだことを知って、日本にとって柔道も外交も同じだなと感じながら、かつて自分がワシントンからリオに飛び、柔道取材をした体験をつい想起した。1978年11月、たまたま今回と同じリオでの第5回世界学生柔道選手権だった。当時、毎日新聞のワシントン特派員だった私は学生時代に自分も柔道に励んでいたことから、とくにこの取材を志願した。」とあり、
つづいて具体例を示したあとに
「・・このころから不可解な判定に悩まされていたのである。このときの日本の監督がかの有名な神永昭夫氏だった。神永監督は正面からこの判定に抗議し、撤回を求めた。運営側はその抗議を英文の書面で提出するようにと指示した。すると、神永監督はすたすたと記者席の私のところに歩いてきて、『いまから私の抗議の口述を英訳してください』と要請した。私の大学柔道歴や米国駐在を知っていての注文だった。柔道を経験していて神永氏の要請を断れる人間はいなかった。私は報道業務を一時中止して、必死で和文英訳に取り組んだ。文書で出された日本の抗議も結局はいれられなかった。だが抗議の事実と内容ははっきりと記録に残った。曲がりなりにも日本の対外発信はここで公式に認知されたのである。」
ここから、井上康生、鈴木桂治両選手の判定に話題が及ぶのです。
古森氏は、全ブラジル柔道有段者会の関根隆範副会長(六段)と全日本学生柔道連盟の植村健次郎副会長(六段)のお二人の意見を聞き、それを記したあとに
「日本選手の行動としては異例だった。それほど判定は認め難かったのだろう。だが日本選手団がコーチらを通じて正式に抗議をしたという形跡はない。この点、前述の関根氏は『日本として徹底的に正式に抗議をすべきだった』と述べる。植村氏も『抗議だけでなく審判員の質や能力、そして審判規則のあり方まで日本が日ごろ発言し、主張をぶつけておく必要がある』と訴える。」
だいぶはしょって意味不明になるのも恐れずに文章の最後を引用しておきます。
「要するに日本の対外発信だろう。・・・・個々の具体的部分だけでなく、全体の構造的な国際ルールづくりにまで発信や関与が欠かせなくなった、ということだろう。日本の柔道が抱えるこうした対外発信の課題は、日本の外交から国際社会へのかかわり方全体にまで共通している、と感じた次第だった。」