月刊誌「WILL」11月号が発売になっております。
面白いんです。私が読み応えを感じたのはというと、
中西輝政氏の「小沢一郎と日本共産党」。
潮匡人氏の「普通の国はどこへ消えた」。
堤堯・久保絋之対談「安倍に正統なる政治死を」。
それはそれとして、ここでは、巻頭随筆の日下公人の文を紹介します。
マスコミについて語られているのですが、
「失礼になるといけないと思い、そこまでは言わずに暮らしてきたが」
としてマスコミの迷走を指摘してゆくのです。
終りの方にこうあります。
「今のように大同小異で民意と称するオチャラケ解説や枝葉末節のエラー探しに精を出していると、いずれまともな人は政治家にならなくなる。現に参議院はそうなった。だから「参院不要論」が出てくる。それからさらに面白いことに、まともな人はメディアにも行かなくなる。」
大胆な予告ですが、スッキリとした論を提示しております。
日下氏が語る具体的な箇所は、ここでしょうか。
「安倍首相は小泉劇場で主役を演ずるような人ではない。愚問にも真面目に対応し、説明責任を果たせといわれれば細かく答えた。そうすると【くどい】とか【人物が小さい】とか【国民は納得するでしょうか】など、畳み掛けて一本とったような顔をしていたが、国民はそんなかっこつけの猿芝居には飽き飽きしている。カネを払ってみるほどのものではない(だから「WILL」が売れる)。」
一冊の本も紹介しておりました。
上杉隆著「小泉の勝利、メディアの敗北」(草思社)です。
この紹介も見事だなあ。こうです
「著者はニューヨーク・タイムズの記者をした人で、まず自分が書いた記事を採録し、次にそれがいかに間違っていたかを述べる。あまりにも良心的で頭が下がる思いに包まれながら往事を思い出して一気に読んだ。」
こうして田中真紀子の外務大臣問題・ホリエモン立候補・郵政民営化・総選挙をちょいとおさらいして日下氏はこう書いておりました。
「そうだったのか――と思うが、そのあとには、なぜこんな話がそのときは報道されなかったのかという疑問がわいてくる。私個人は友人、知人からウラ話として聞いたことが裏付けられて安心するが、一般国民は新聞購読料やテレビ視聴料が丸損だったと分かるはずである。」
そうだ、新聞購読料などを払いながら、我知らずマスコミの迷走につきあっている私に思いいたります。
日下氏は、マスコミ界をこう指摘しております。
「勉強せず、自分の考えも持たず、単に流行に乗って・・」
「誉めるものを誉め、けなすものをけなして仕事をしたつもりで毎日を過ごす。
ひたすら、次の大事件が起こって、読者がこれまでの間違った解説や外れた予測を一日でも早く忘れることを祈っている。
・・・そんな毎日だと思うが、当人たちは『民意を代表して権力を叩く』という使命を果しているつもりである・・・。」
これで2ページの、日下氏の巻頭随筆の主要な箇所を引用しちゃいました。
「カネを払って」月刊誌「WILL」11月号をお読みください。
これが、言葉に対して、お金を払うということだったのだ。と、
手応えがあったなら、私も引用した「買い」じゃなかった、甲斐があったというものです。
面白いんです。私が読み応えを感じたのはというと、
中西輝政氏の「小沢一郎と日本共産党」。
潮匡人氏の「普通の国はどこへ消えた」。
堤堯・久保絋之対談「安倍に正統なる政治死を」。
それはそれとして、ここでは、巻頭随筆の日下公人の文を紹介します。
マスコミについて語られているのですが、
「失礼になるといけないと思い、そこまでは言わずに暮らしてきたが」
としてマスコミの迷走を指摘してゆくのです。
終りの方にこうあります。
「今のように大同小異で民意と称するオチャラケ解説や枝葉末節のエラー探しに精を出していると、いずれまともな人は政治家にならなくなる。現に参議院はそうなった。だから「参院不要論」が出てくる。それからさらに面白いことに、まともな人はメディアにも行かなくなる。」
大胆な予告ですが、スッキリとした論を提示しております。
日下氏が語る具体的な箇所は、ここでしょうか。
「安倍首相は小泉劇場で主役を演ずるような人ではない。愚問にも真面目に対応し、説明責任を果たせといわれれば細かく答えた。そうすると【くどい】とか【人物が小さい】とか【国民は納得するでしょうか】など、畳み掛けて一本とったような顔をしていたが、国民はそんなかっこつけの猿芝居には飽き飽きしている。カネを払ってみるほどのものではない(だから「WILL」が売れる)。」
一冊の本も紹介しておりました。
上杉隆著「小泉の勝利、メディアの敗北」(草思社)です。
この紹介も見事だなあ。こうです
「著者はニューヨーク・タイムズの記者をした人で、まず自分が書いた記事を採録し、次にそれがいかに間違っていたかを述べる。あまりにも良心的で頭が下がる思いに包まれながら往事を思い出して一気に読んだ。」
こうして田中真紀子の外務大臣問題・ホリエモン立候補・郵政民営化・総選挙をちょいとおさらいして日下氏はこう書いておりました。
「そうだったのか――と思うが、そのあとには、なぜこんな話がそのときは報道されなかったのかという疑問がわいてくる。私個人は友人、知人からウラ話として聞いたことが裏付けられて安心するが、一般国民は新聞購読料やテレビ視聴料が丸損だったと分かるはずである。」
そうだ、新聞購読料などを払いながら、我知らずマスコミの迷走につきあっている私に思いいたります。
日下氏は、マスコミ界をこう指摘しております。
「勉強せず、自分の考えも持たず、単に流行に乗って・・」
「誉めるものを誉め、けなすものをけなして仕事をしたつもりで毎日を過ごす。
ひたすら、次の大事件が起こって、読者がこれまでの間違った解説や外れた予測を一日でも早く忘れることを祈っている。
・・・そんな毎日だと思うが、当人たちは『民意を代表して権力を叩く』という使命を果しているつもりである・・・。」
これで2ページの、日下氏の巻頭随筆の主要な箇所を引用しちゃいました。
「カネを払って」月刊誌「WILL」11月号をお読みください。
これが、言葉に対して、お金を払うということだったのだ。と、
手応えがあったなら、私も引用した「買い」じゃなかった、甲斐があったというものです。