「定本 伊東静雄全集」(全一巻)を、この夏ぱらぱらと開いて、興味深そうな箇所を読む。さて、伊東静雄については、未読ながら「伊東静雄研究」という本があるらしい。それも参考にしてみたい。とは思うのですが、直接に詩を読んで、あれこれ思っている愉しみ。この気持ちを、どういったらよいのかと、ひょいと、思ったわけです。はじめての詩に接して、感性が動く。その気持ちを、おずおずと並べてゆくと、それはもう「研究」で語りつくされたテーマだったりするかもしれない。それでも、自分でははじめての出会いであるわけでして。その微妙さは、第三者から見れば、つまらないものかもしれないなあ。
ブログに書き込むのは、こういう本人にしかわからないような面白さにあるのかと思い到るわけです。それってもう誰それが指摘しているよ。と言ってもらえると、思わぬ指摘に、ひとりよがりが、先達を思い描けるわけです。
たとえば、算数の計算問題を解く。そして解答冊子を覗いて、それが正しかったかどうか、確認する。詩と研究とは、そういう関係にあるとすると、最初から解答を覗いてしまうとどうなるか?それを詩の場合にたとえると、詩を読まずに研究から読み始める。詩についての知識ばかり豊富になる勘定。
詩との出会いを経験せずに、ただ詩の噂話に精通しているような袋小路。
( なにをいいたいのやら )
さて、持っている本で井上靖著「わが一期一会」(毎日新聞社)というのがありました。少しだけ読みかじってそのままになっておりました。そこに伊東静雄について書かれているかもしれないと思ったわけです。ありました。ありました。
ひとつ引用します。
「二十二年の秋、私は詩人の伊東静雄から『反響』という詩集を貰った。二十二年の出版であるから紙は粗末なもので、綴じ目には糸が出ているような造りで、手応えというものがまるでないような軽さの詩集である。その中に「夏の終り」という詩が収められてあった。
夜来の颱風にひとりはぐれた白い雲が
気のとほくなるほど澄みに澄んだ
かぐはしい大気の空をながれてゆく
太陽の燃えかがやく野の景観に
それがおほきく落す静かな翳は
・・・・・さよなら・・・さよなら
・・・・・さよなら・・・さよなら
いちいちそう頷く眼差のように
一筋ひかる街道をよこぎり
あざやかな暗緑の水田の面を移り
こういった調子で書き綴られてある十八行の詩である。
江藤淳氏は「伊東静雄の詩業について」という文章で、この詩にふれて、
これを伊東静雄の自分の詩集に対する訣別の言葉であるとし、
『<夜来の颱風にひとりはぐれた白い雲>というのは、あの颱風のような時代を生きぬいて、その悲しみを、ひとりの日本人として非常に低いところでうけとめて来た伊東の、自画像であると考えてもいい』と記している。この行き届いた作品解釈に、何も付言する必要はないと思う。何という心にくい『・・・さよなら・・・さよなら』であろう。安西冬衛も、三好達治も、伊東静雄も、戦時中から戦後にかけて生き、その時代を生きた人の心を作品に刻み、そしていまはみな故人になっている。」(p93~94)
何か、こういう模範解答を知らされると、途中でゴールに到着してしまったような、味気なさも同時に味わったりします。
ブログに書き込むのは、こういう本人にしかわからないような面白さにあるのかと思い到るわけです。それってもう誰それが指摘しているよ。と言ってもらえると、思わぬ指摘に、ひとりよがりが、先達を思い描けるわけです。
たとえば、算数の計算問題を解く。そして解答冊子を覗いて、それが正しかったかどうか、確認する。詩と研究とは、そういう関係にあるとすると、最初から解答を覗いてしまうとどうなるか?それを詩の場合にたとえると、詩を読まずに研究から読み始める。詩についての知識ばかり豊富になる勘定。
詩との出会いを経験せずに、ただ詩の噂話に精通しているような袋小路。
( なにをいいたいのやら )
さて、持っている本で井上靖著「わが一期一会」(毎日新聞社)というのがありました。少しだけ読みかじってそのままになっておりました。そこに伊東静雄について書かれているかもしれないと思ったわけです。ありました。ありました。
ひとつ引用します。
「二十二年の秋、私は詩人の伊東静雄から『反響』という詩集を貰った。二十二年の出版であるから紙は粗末なもので、綴じ目には糸が出ているような造りで、手応えというものがまるでないような軽さの詩集である。その中に「夏の終り」という詩が収められてあった。
夜来の颱風にひとりはぐれた白い雲が
気のとほくなるほど澄みに澄んだ
かぐはしい大気の空をながれてゆく
太陽の燃えかがやく野の景観に
それがおほきく落す静かな翳は
・・・・・さよなら・・・さよなら
・・・・・さよなら・・・さよなら
いちいちそう頷く眼差のように
一筋ひかる街道をよこぎり
あざやかな暗緑の水田の面を移り
こういった調子で書き綴られてある十八行の詩である。
江藤淳氏は「伊東静雄の詩業について」という文章で、この詩にふれて、
これを伊東静雄の自分の詩集に対する訣別の言葉であるとし、
『<夜来の颱風にひとりはぐれた白い雲>というのは、あの颱風のような時代を生きぬいて、その悲しみを、ひとりの日本人として非常に低いところでうけとめて来た伊東の、自画像であると考えてもいい』と記している。この行き届いた作品解釈に、何も付言する必要はないと思う。何という心にくい『・・・さよなら・・・さよなら』であろう。安西冬衛も、三好達治も、伊東静雄も、戦時中から戦後にかけて生き、その時代を生きた人の心を作品に刻み、そしていまはみな故人になっている。」(p93~94)
何か、こういう模範解答を知らされると、途中でゴールに到着してしまったような、味気なさも同時に味わったりします。