和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

108人のベスト3。

2007-09-03 | Weblog
諸君!(2007年10月号)が出ております。
興味を引いたのが「永久保存版 私の血となり、肉となった、この三冊」。
副題に「読み巧者108人が教える『私のオールタイム・ベスト3』」とあります。めずらしいのは、まず最初に「編集部より」として言葉が掲げられておりました。
こう始まります「奔流のような情報がとりまく時代にあって、己を見失わず、確固たる視点をもち続けるために必要なのは、肺腑に染みわたるような読書体験をひとつでも多く重ねていくことではないでしょうか。・・・・」。

私は本を読むのが遅いせいか、このような、人が語る本のリストを眺めるのは、楽しみ。何か豊かな感じを抱かせてもらえる(読まない癖してね)。まるで宝島への地図を手にしたような、そんな気分(ニセの地図でも結構)。だいぶ前なのですが、愛読書というので、文庫解説本(出版社からタダで貰えるあの本です)を挙げておられた方がいましたっけ。そうか、そういう手もありなんだ。と妙に感心したことがあります。さて、こういう心持を、私ごときが語ってもつまらない(笑)。というので、ここでは谷沢永一著「回想 開高健」から引用してみましょう。

「・・我ながら滑稽なのだが、いかなる書物の場合でも、序、跋、解説、かりに貶しめて言うならそれら付属品の類いに、まず惹きつけられるのである。どう謗られようとも、それらが何よりも面白いのだから致し方ない。その結果として、当然、内外の諸作品をめぐる評語の定型を、たいてい私はそらんじていた。人には評定を好むという厄介な傾きがあるとわきまえ、自分だってその最たるものと苦笑しながら、しかし一方、世の評定の十中八九は、決まり文句のキャッチボールにすぎない、と、だいたい見通しをつけていた。だから、手垢にまみれた語彙語法に、頭から嫌悪の情を禁じえない。と言っても、この生意気ざかりに、新しい評語を思案する才覚はないのだから、要するに、この解説読みは、世の文学青年にとって、厭な奴だったにすぎなかったろう。」「実際には、開高も、人には負けぬ解説読みだった。『世界文学全集』や岩波文庫などの解説の、記憶にのこる一句一節一条を、興にまかせて私たちは朗誦した。しかし、いざ或る作品について自分の感想をのべるとき、彼は、既成の文脈の埒外にいた。・・・」

以上は「回想 開高健」の第一章「出会い」に出てくる「解説読み」についての箇所でした。じつは「諸君!」のこの特集に、この「回想 開高健」を取り上げている方がおられました。北康利さん。せっかくですから北さんの、その箇所を全文引用してみますね。

「最後に、とりわけ大きな影響を受けた本として『回想 開高健』を挙げたい。
開高先生も谷澤先生も、ともに高校の先輩である。お二人の友情物語を知っていただけに、『読み終えるのが惜しい』とさえ思った。そして終章までたどり着いた時、『開高健が、逝った。以後の、私は、余生、である』という結びの文章に止めを刺された。滂沱の涙に、もう字を追うことができないのだ。この時の感動を正確に表現する言葉を持たないが、筆不精な小生が、生まれて初めてファンレターを送ろうと思いたったと言えば、その一端なりともご理解いただけるだろうか。谷澤先生と言えば厳しいことで有名な方である。大変な勇気が要ったが、すぐに丁寧な返書が届いた。そこには何と、調子に乗って同封した稚拙な自費出版本の感想まで記されているではないか。心に火が点り、背中を押されるようにして作家としての第一歩を踏み出した。果して次代に思いを語り継げるか。課題は重いが、影響を受けた本への、それが恩返しである。」(p230)


そういえば、今日(9月3日)の産経新聞に、
「大型連載『同行二人 松下幸之助と歩む旅』が4日付から始まります。
筆者は『白洲次郎 占領を背負った男』で第14回山本七平賞を受賞した作家・北康利氏。毎週火曜日付で連載します。」とありました。


一人だけ紹介しても、全体を知らせることにはならないでしょうが、まあいいか。この「諸君!」の永久保存版は、うれしくなる特集で、108人のお薦め本を、楽しく拝見・拝聴できるのです。
コメント (3)
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