新書の「梅棹忠夫語る」を読んで、はたと思ったのでした。
梅棹忠夫を読まなきゃ。
私は「文明の生態史観」を読んでいない。
うんそうなんだ。「梅棹忠夫語る」は、楽しいものでした。
細部の断片が、交響曲みたいに(?)共鳴している。
これが思想ということなのかなあと、今さらに感じいった。というわけです。
それで、新書「梅棹忠夫語る」。ここで聞き手の小山修三氏が取り上げている本も入れての梅棹リストを列挙して、この新書による梅棹山登山ルートマップを明らかにしていきたいと(せいぜい1~2冊で息切れしてしまうでしょうが、それはそれ、登山ルートの地図を作成する楽しみだけでも味わってみます)。
「梅棹忠夫に挑む」(中央公論新社)
「山をたのしむ」(山と渓谷社)
この2冊は小山修三の「はじめに」で取り上げられておりました。
「日本文明77の鍵」
何でも小山修三も、この本に書いていて、そこで「ぼくは文章をきびしく直された」とあります。(p43)
小山】『日本文明77の鍵』は、不思議な本でした。梅棹忠夫編、執筆は米山俊直、谷直樹、園田英弘、守屋毅、小山修三と梅棹さんでした。あのとき梅棹さんがホテル・プラザにみんなを呼んで、徹夜で講義をした。
梅棹】あの当時は何でも日本文化やった。それで、出版社のほうでは『日本文明』という名に抵抗を示してきた。『何を言うてる、これは文化論と違います、文明論ですよ』と強く突っぱねた。(p170)
梅棹忠夫著「裏がえしの自伝」(講談社・1992年)
インタビューとは別に、挿入された引用箇所として出て来ます。
まあ、これは読まなくとも良いでしょう。と私はひとり決め。
梅棹忠夫に
「わたしは、子どものときから図書館を知ってたね。京都の府立図書館へ通った。」(p79)とあります。ふ~ん。たしか大阪の府立図書館へ通ったのが司馬遼太郎じゃなかったかなあ。
「知的生産の技術」は、2010年8月で85刷とあります(p83)
中尾佐助著「分類の発想」
梅棹】学者。日本のインテレクチャルは、ほんとに分類が好きやね。何でも分類する。その痛烈な批判が中尾佐助の『分類の発想』や。これはおもしろい。(p84)
「アマチュア思想家宣言」(1954年)
小山】梅棹忠夫は学者かジャーナリストか、という言い方をする人がいますよね。
梅棹】アホな。(p97)
「研究経営論」
小山】民博では梅棹さんに、『学問でさえ、経営なんだぞ、そう考えてやれ』って言われてきました。文部科学省や民間の研究助成、外国の奨励金などをとってくることも含めて、学問は経営にほかならないと。
梅棹】『研究経営論』という本があるやろ。(p111)
加藤秀俊著「わが師わが友」(中央公論社1982年)。(p122)
「行為と妄想 ―――わたしの履歴書」(p154)
小山氏の「あとがき」では、こう語られておりました。
「梅棹さんの仕事は多岐にわたるが、わたしなりに選ぶとすれば、以下の三つをあげたい。
第一は、日本文明を世界のなかに位置づけた『文明の生態史観』(1957年)である。・・・
第二は、情報産業の時代がくることを予測した『情報産業論』(1963年)。勃興記にあった放送界で働く人たちを鼓舞した。さらに『知的生産の技術』(1969年)では、・・・
第三は、国立民族学博物館の創設と館長としての活躍である。・・・・・
梅棹さんには23巻におよぶ著作集がある。しかし、一般人にとってはあまりにも量がおおく、分野が多岐にわたり、高価すぎる。もっと手にとりやすい本で、現代日本人へのメッセージを語ってもらいたいと考えた。・・・」(p217)
あ。そうそう。この箇所を忘れるところだった。
小山】梅棹さんが『情報産業論』を言ったのが、1963年。その後、いまだに梅棹さんの言いたかった情報と産業とが理解されていない。情報だけでもいっぱい論じられますからね。
梅棹】みんな、情報という言葉に酔いしれているというか、ね。(p89)
小山】実は、いままとめているある討論があって、その記録を見ますと、すべて情報論、情報産業論に集中しているんです。そこで聞きたいのは、情報産業論が梅棹さんの文明論のバックボーンになっているんですかね?
梅棹】というより、帰結というか、締めくくりみたいなものやな。
小山】重要な要素のひとつ?
梅棹】ひとつや。締めくくりのところ。しかしあのときでも、情報産業論の議論はしてくれても、みんな情報論だったな。そんなん、つまらん。わたしが言ってたのは産業論なんです。それなのになんで、あんなふうになるのかな。それくらい情報というものに、みんな興味があるということなのかな。結局、ひとつは、おそらくその前にあったコミュニケーション論にひきずられてるんだと思う。これは工業時代に対する情報産業、産業時代論であって、わたしが言っているのは文明論だった。だから、情報論とちがうんですよ。みなさん、『情報』という言葉にひきずられてしまっている。(p92)
うんうん。このメッセージを受信しました。
せめてもの、梅棹忠夫という山の登山コースを書き留めて、私なりの今後の参考にしたいと思いました。
梅棹忠夫を読まなきゃ。
私は「文明の生態史観」を読んでいない。
うんそうなんだ。「梅棹忠夫語る」は、楽しいものでした。
細部の断片が、交響曲みたいに(?)共鳴している。
これが思想ということなのかなあと、今さらに感じいった。というわけです。
それで、新書「梅棹忠夫語る」。ここで聞き手の小山修三氏が取り上げている本も入れての梅棹リストを列挙して、この新書による梅棹山登山ルートマップを明らかにしていきたいと(せいぜい1~2冊で息切れしてしまうでしょうが、それはそれ、登山ルートの地図を作成する楽しみだけでも味わってみます)。
「梅棹忠夫に挑む」(中央公論新社)
「山をたのしむ」(山と渓谷社)
この2冊は小山修三の「はじめに」で取り上げられておりました。
「日本文明77の鍵」
何でも小山修三も、この本に書いていて、そこで「ぼくは文章をきびしく直された」とあります。(p43)
小山】『日本文明77の鍵』は、不思議な本でした。梅棹忠夫編、執筆は米山俊直、谷直樹、園田英弘、守屋毅、小山修三と梅棹さんでした。あのとき梅棹さんがホテル・プラザにみんなを呼んで、徹夜で講義をした。
梅棹】あの当時は何でも日本文化やった。それで、出版社のほうでは『日本文明』という名に抵抗を示してきた。『何を言うてる、これは文化論と違います、文明論ですよ』と強く突っぱねた。(p170)
梅棹忠夫著「裏がえしの自伝」(講談社・1992年)
インタビューとは別に、挿入された引用箇所として出て来ます。
まあ、これは読まなくとも良いでしょう。と私はひとり決め。
梅棹忠夫に
「わたしは、子どものときから図書館を知ってたね。京都の府立図書館へ通った。」(p79)とあります。ふ~ん。たしか大阪の府立図書館へ通ったのが司馬遼太郎じゃなかったかなあ。
「知的生産の技術」は、2010年8月で85刷とあります(p83)
中尾佐助著「分類の発想」
梅棹】学者。日本のインテレクチャルは、ほんとに分類が好きやね。何でも分類する。その痛烈な批判が中尾佐助の『分類の発想』や。これはおもしろい。(p84)
「アマチュア思想家宣言」(1954年)
小山】梅棹忠夫は学者かジャーナリストか、という言い方をする人がいますよね。
梅棹】アホな。(p97)
「研究経営論」
小山】民博では梅棹さんに、『学問でさえ、経営なんだぞ、そう考えてやれ』って言われてきました。文部科学省や民間の研究助成、外国の奨励金などをとってくることも含めて、学問は経営にほかならないと。
梅棹】『研究経営論』という本があるやろ。(p111)
加藤秀俊著「わが師わが友」(中央公論社1982年)。(p122)
「行為と妄想 ―――わたしの履歴書」(p154)
小山氏の「あとがき」では、こう語られておりました。
「梅棹さんの仕事は多岐にわたるが、わたしなりに選ぶとすれば、以下の三つをあげたい。
第一は、日本文明を世界のなかに位置づけた『文明の生態史観』(1957年)である。・・・
第二は、情報産業の時代がくることを予測した『情報産業論』(1963年)。勃興記にあった放送界で働く人たちを鼓舞した。さらに『知的生産の技術』(1969年)では、・・・
第三は、国立民族学博物館の創設と館長としての活躍である。・・・・・
梅棹さんには23巻におよぶ著作集がある。しかし、一般人にとってはあまりにも量がおおく、分野が多岐にわたり、高価すぎる。もっと手にとりやすい本で、現代日本人へのメッセージを語ってもらいたいと考えた。・・・」(p217)
あ。そうそう。この箇所を忘れるところだった。
小山】梅棹さんが『情報産業論』を言ったのが、1963年。その後、いまだに梅棹さんの言いたかった情報と産業とが理解されていない。情報だけでもいっぱい論じられますからね。
梅棹】みんな、情報という言葉に酔いしれているというか、ね。(p89)
小山】実は、いままとめているある討論があって、その記録を見ますと、すべて情報論、情報産業論に集中しているんです。そこで聞きたいのは、情報産業論が梅棹さんの文明論のバックボーンになっているんですかね?
梅棹】というより、帰結というか、締めくくりみたいなものやな。
小山】重要な要素のひとつ?
梅棹】ひとつや。締めくくりのところ。しかしあのときでも、情報産業論の議論はしてくれても、みんな情報論だったな。そんなん、つまらん。わたしが言ってたのは産業論なんです。それなのになんで、あんなふうになるのかな。それくらい情報というものに、みんな興味があるということなのかな。結局、ひとつは、おそらくその前にあったコミュニケーション論にひきずられてるんだと思う。これは工業時代に対する情報産業、産業時代論であって、わたしが言っているのは文明論だった。だから、情報論とちがうんですよ。みなさん、『情報』という言葉にひきずられてしまっている。(p92)
うんうん。このメッセージを受信しました。
せめてもの、梅棹忠夫という山の登山コースを書き留めて、私なりの今後の参考にしたいと思いました。