和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

播州門徒の末裔。

2010-10-20 | 他生の縁
司馬遼太郎著「以下、無用のことながら」(文芸春秋)に
司馬さんと浄土真宗との関連が、読めるのでした。

とくに、
「浄土 ―― 日本的思想の鍵」と「日本仏教小論 ―― 伝来から親鸞まで」を読みかえしていて、はじめて読んだような魅かれかたがありました。
まあ、とりあえずは、司馬さんと浄土真宗との関連の箇所。

「なぜ中世の浄土真宗が、そのように布教に熱心だったかと言いますと、領地がなかったのです。おなじ浄土教でも浄土宗と浄土真宗が際立って違っていたのは、浄土宗には領地があり、どんな寺でも小さな田圃か山林を持っていることでした。つまり浄土宗は農地地主として寺を維持していました。・・・ところが、一方の浄土真宗というものは、そんなものはなかったわけですから、信徒をもって田圃にする。そのことを古くからある仏教用語で福田(フクデン)と言いました。私(司馬さんのこと)のところも信徒でしたから、私の戸籍名福田(フクダ)は、フクデンからきているわけです。播州の亀山の本徳寺というところの門徒であったことを喜びにして、福田という姓にしたそうです。はじめの戦国時代は三木という姓だったんですが、江戸期には福田ということにして、明治以後、お上に届け出たそうです。要するに門徒だということを喜んでいるという変な姓です。」(「浄土 ― 日本的思想の鍵」)

なお、この「浄土 ― 日本的思想の鍵」を読んでいると、私は加藤秀俊著「メディアの発生」に出てくる宗派の関連が、より理解できたような気がしてきます。


さて、司馬遼太郎の「日本仏教小論 ― 伝来から親鸞まで」のはじめの方にも、こんな箇所がありました。

「私の家系は、いわゆる【播州門徒】でした。いまの兵庫県です。十七世紀以来、数百年、熱心な浄土真宗(十三世紀の親鸞を教祖とする派)の信者で、蚊も殺すな、ハエも殺すな、ただし蚊遣りはかまわない、蚊が自分の意志で自殺しにくるのだから。ともかくも、播州門徒の末裔であるということも、私がここに立っている資格の一つかもしれません。」


山折哲雄氏の親鸞が著作を学問的にたどるのに対して、司馬遼太郎氏のこの2つの文のほうが、私に自然な空気のように吸い込むことができるような読後感がありました。とにかくよく整理されてわかりやすく、しかも身近な地続きな言葉で、語られている。
素敵な2つの文なのでした。とあらためて思ったのでした。
コメント (2)
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