和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ことわざ風刺画。

2010-10-11 | 古典
平凡社新書・南和男著「江戸のことわざ遊び」。
それが、なんとも、奇天烈なインパクト。
副題に「幕末のベストセラー・・」とあります。
その幕末から明治にかけての40年ほど続けて売れていたベストセラー。
と解説されております。

なにげなく使っていることわざも、それを絵で表現すると、
とたんに、インパクトのある現実離れした、絵空事に変換していくのでした。
そこの可笑しさを、すくいとってゆく、幕末の文と絵とのコラボ。

たとえば、「目から鼻にぬける」とは、
新書の解説によりますと、
「頭の回転が速くて抜け目のない様子。昔大仏の目を修理した大工が、目をはめてから鼻から抜け出た利発さをいったという説もある。・・・」
これを絵にすると、なんともグロテスク。
ちょん髷の男の顔を左側からクローズアップ。
左眼は、黒目が右側を見ているようです。
その、ちょん髷男の右目に、もぐりこんで袴の足がでていて、
鼻の左穴から、反り返った男の顔と両手がみえている。
大仏と、それにもぐりこんだ職人という大きさの構成。
こうして描くとなんとも、奇妙奇天烈な画となっておりました。

絵とともに、文も切れ味があります。
落語の枕にも使える、ネタ帳の列挙という観があるのでした。

ひとつぐらい文も紹介。
蝶よ花で育った子。これを風刺画に添えられた文は、どういうのか。

「あたしはこのように、お父さんやお母さんが大事にしてくれて、毎日、蝶よ花よと遊んでいる。これからだんだんと大きくなったら、お父さんのように、丁と半とで遊ぶのだ」

その解説は、

「表題の『蝶よ花』は、丁半賭博の『丁か半か』(偶数か奇数かの意)のかけ声をもじったもの。幼児の親が賭博師であることを示唆している。大事に育てた子が必ずしも真っ直ぐに育つとは限らない。やはり親の生き様か。」(p223~224)

そう。落語の枕をあつめたネタ帳の蔵をひっくりかえしたような味わい。

もうひとつぐらい引用してもよいでしょう。
「寝耳に水」
布団に寝ている男の顔が大きな片耳だと、想像してみてください。
その布団を、はがして、木桶で上から、大耳へと水をぶっかけている図。

うがった想像を羽ばたかせれば、
ここから、しじゅう耳だけを作り続けた芸術家・三木富雄を私は思い浮かべたりします。
というのも、芸術の秋だからでしょうか。

コメント
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