丸谷才一著「あいさつは一仕事」(朝日新聞出版)に、
吉田秀和文化勲章を祝う会での祝辞「わが文章の師」というのがありました。
そこで、吉田氏の文を引用しております。そこにはチャーチルが登場するのでした。その途中から。
「・・・昭和十年代のいはゆる日支事変について議会で質問されたときの答弁。『日本の派遣した百万の大軍は、むなしくアジア大陸を彷徨しているにすぎない』といふのですね。このチャーチルの答弁を吉田さんは新聞で読んで、その簡潔さと鋭さ、『この戦争で日本がやっていることの真相を喝破している』のに打たれた。『これを読んだ時、はじめて、一つの真実を完全に言い当てる言葉というものにぶつかって、痛棒を喰らったように感じた』。戦争中も敗戦のときもそれを思つた。と書いてゐます。そしてかうつづける。要約的に紹介しますよ。
『詩人とはこのやうな、人が一度きいたら永遠に忘れられない言葉を発する人のことを言ふ。その言葉は真実を述べてゐるから、いつまでも残る。詩人とはさういふ使命を帯びて生れた人のことだ』そして、チャーチルは政治家であり、歴史家であるが、つまりは詩人なのだ、となるんです。この詩人論、日ごろよく詩に親しんでゐて、しかもごく若いころに中原中也とつきあつた人の説なので、いい所を衝いてますね。ツボを押へてる。・・・」(p23~24)
そういえば、
司馬遼太郎・林屋辰三郎対談「歴史の夜(右が口、左が出)」(小学館ライブラリー)のなかの「フロンティアとしての東国」での「歎異抄」を語っている箇所が、印象に残っております。
吉田秀和文化勲章を祝う会での祝辞「わが文章の師」というのがありました。
そこで、吉田氏の文を引用しております。そこにはチャーチルが登場するのでした。その途中から。
「・・・昭和十年代のいはゆる日支事変について議会で質問されたときの答弁。『日本の派遣した百万の大軍は、むなしくアジア大陸を彷徨しているにすぎない』といふのですね。このチャーチルの答弁を吉田さんは新聞で読んで、その簡潔さと鋭さ、『この戦争で日本がやっていることの真相を喝破している』のに打たれた。『これを読んだ時、はじめて、一つの真実を完全に言い当てる言葉というものにぶつかって、痛棒を喰らったように感じた』。戦争中も敗戦のときもそれを思つた。と書いてゐます。そしてかうつづける。要約的に紹介しますよ。
『詩人とはこのやうな、人が一度きいたら永遠に忘れられない言葉を発する人のことを言ふ。その言葉は真実を述べてゐるから、いつまでも残る。詩人とはさういふ使命を帯びて生れた人のことだ』そして、チャーチルは政治家であり、歴史家であるが、つまりは詩人なのだ、となるんです。この詩人論、日ごろよく詩に親しんでゐて、しかもごく若いころに中原中也とつきあつた人の説なので、いい所を衝いてますね。ツボを押へてる。・・・」(p23~24)
そういえば、
司馬遼太郎・林屋辰三郎対談「歴史の夜(右が口、左が出)」(小学館ライブラリー)のなかの「フロンティアとしての東国」での「歎異抄」を語っている箇所が、印象に残っております。