和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

鶴見流の比喩。

2010-10-26 | 他生の縁
鶴見俊輔氏は、ときに出会いの様子を語られるときがあります。
たとえば、梅棹忠夫氏との出会い。

「初めて会ったころ、知識人のあいだでマルクス主義者でなければ人でないっていう空気がつよかったなかで、梅棹さんのところに行ってみると庭には大工道具が置いてあるし、『暮しの手帖』が揃ってたりしてたんで驚かされた。なにしろ椅子から何から全部自分でつくる。とにかく暮らしっていうものを中心に考えてましたね。それから日本全体の交通をどうするかって考えあぐねていると言われた。びっくりした。これが昭和25年(1950)なんだからね。とにかく梅棹さんのところへ行くと別の風景が見えてくる気がした。」

上は、鶴見俊輔座談第八回配本「民主主義とは何だろうか」(晶文社)のなかの「五十年の幅で・梅棹忠夫」という対談の、はじまりの箇所。

これが、加藤秀俊氏に言わせれば、こうなります。

「ぜひいちど梅棹忠夫という人に会いなさい、と熱心にすすめられた。鶴見(俊輔)さんによると梅棹さんという人は、じぶんで金槌やカンナを使って簡単な建具などさっさとつくってしまう人だ、あんな実践力のある人は、めったにいるものではない、というのであった。まことに失礼なようだが、鶴見さんは、およそ生活技術についてはいっこうに無頓着、かつ不器用な人だから、鶴見さんからみると、大工道具を使うことができる、ということだけで梅棹さんを評価なさっているのではないか、ずいぶん珍奇な評価だ、とわたしはおもった。金槌やカンナくらい、誰だって使える。大工道具を使えない鶴見さんのほうが、率直にいって例外的だったのである。」

もっとも加藤秀俊氏の文では、これからが本題へとかわってゆきます。そこを引用しないと片手落ちとなりますので、引用。


「だが、それと前後して、わたしは・・梅棹さんの書かれた『アマチュア思想家宣言』というエッセイを読んで、頭をガクンとなぐられたような気がした。このエッセイには、当時の梅棹さんのもっておられた、徹底的にプラグマティックな機能主義が反映されており、いわゆる『思想』を痛烈に批判する姿勢がキラキラとかがやいていた。それにもまして、わたしは梅棹さんの文体に惹かれた。この人の文章は、まず誰にでもわかるような平易なことばで書かれている。第二に、その文章はきわめて新鮮な思考を展開させている。そして、その説得力たるやおそるべきものがある。ひとことでいえば、スキがないのである。これにはおどろいた。いちど、こんな文章を書く人に会いたい、とわたしはおもった。たぶん、鶴見さんが日曜大工をひきあいに出されたのは、鶴見流の比喩であるらしいということも、『アマチュア思想家宣言』を読んだことでわかった。」


鶴見さんについては、
「鶴見俊輔集2」(筑摩書房)の月報7にある
ロナルド・ドーア氏の「『かわりもの』の刺激効果」という文が、
今度読み直して、たのしかったなあ。
コメント
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