和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

囁くように。

2012-02-04 | 本棚並べ
堀田善衛著「若き日の詩人たちの肖像」(新潮社)。
この単行本の古本を注文して、届きました。

千葉市 草花堂K2 へ注文しました。
420円+送料340円=760円なり。

函入りで、函の厚みは3.7センチ。
第一章の前に、すこし文章がありまして、
そこに、田村隆一の詩「1940年代夏」から引用がされております。
その詩の引用の鍵カッコの箇所を、すこし。

「おれはまだ生きている
 死んだのはおれの経験なのだ」
「おれの部屋は閉されている
 しかしおれの記憶の椅子と
 おれの幻想の窓を
 あなたは否定できやしない」


とりあえず。この古本を辞書をひくように、
パラパラとめくれば、
「方丈記私記」の第二章にある
「私は拙作『若き日の詩人たちの肖像』のなかで、この日本中世の『黒』い乱世ぶりを要約して、次のように列挙したことがあった。それをもう一度使わせて頂いて・・」という引用の箇所は、「若き日の詩人たちの肖像」の第三部(p338)に出てくるのでした。

さてっと、パラパラとページをめくって、
私に興味深かったのは「マドンナ」が歌っている場面です。

「夕べあしたの鐘の音
 寂滅為楽と響けども
 聞いて驚く人もなし
 花は散りても春は咲く
 鳥は古巣へ帰れども
 往きて帰らぬ死出の旅
 野辺より彼方の友とては・・・・

という、大菩薩峠の間(あい)の山のお玉の歌を小さい声で囁くようにうたった。」(p319)


ドナルド・キーンさんは、東日本大震災に関連して、
日本の文学では、方丈記しか思い浮かばないという言葉が
今年の元旦の新聞のエッセイにあったのでした。
平家物語ばかりでなく、
方丈記の系譜は、親鸞へ、この大菩薩峠へとつながっているのだろうなあ。そんなことを、思い浮かべるのでした。

うん。いつか「大菩薩峠」を読むぞ。
というのは、気が早い。
方丈記を、まだろくすっぽ読んでないのでした。

ということで、
「健礼門院右京大夫」
「往生要集」
の古本を注文することに。
コメント
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