講談社学芸文庫「学問の世界 碩学に聞く」に
原勝郎著「日本中世史」への言及がありました。
それは貝塚茂樹氏へのインタビューでした。
加藤】 それから原勝郎先生の『東山時代に於ける一縉紳の生活』、ああいう歴史学がありうるということは発見だった。
貝塚】 原先生は、帰納するばかりが歴史ではないと言っておられた。文章もうまかったですよ。
加藤】 あれは歴史書だけれども、やはり文学ですね。
貝塚】 『日本中世史』というのが最初に出された本です。原先生は『日本中世史』を出されて鎌倉時代からはじめられた。それにたいして内田銀蔵さんは、『日本近世史』からはじめられた。・・・原さんのほうはパッとやる。(p95~96)
そういえば、堀田善衛著「方丈記私記」の第二章に
「日本中世の乱世の底深さ、その災殃の激甚さ、本当に怖るべき実感というものは、たとえば原勝郎博士の名著『日本中世史』に見られるような・・・」
という箇所があるのでした。
うん。名著なら、ちゃんと読まなきゃと思いながら、ねっからの遅読のため、
とりあえず、パラパラめくり読みのでの一箇所引用。
そこは、「源氏の興隆は主として東国武人の力に依る」とあります。
「源氏の興隆せる所以は、上に述ぶるが如く、実に其武将等の自ら其勢力を覚りて活動せしが為ならずして、京師を羨み京師に不平を抱き京師に好遇せられずして、而かも其実力の駸々として加はり来りし東国の武人等が鼎(かなえ)の軽重を問ひ得て、其一たび京師の動かし難きにあらざることを知るに及びて、名家の将裔にして、曾て己等及び其祖先と縁故浅からざるものを奉じて事を発し、以て茲に至りしものなり。而して彼等武人の希(ねが)へるところは、必竟ずるに京師の抑制を免れむと欲するのみに存するなれば、事成るの後に及びて、其奉じたる武将を再び京師に帰へらしめて、之をして第二の平氏たらしめること是れ彼等の好むところにはあらず。故に頼朝は成功の後も遂に東国に留まらざる可らざる事となれるなり。」(p144~145・原勝郎著「日本中世史」東洋文庫)
原勝郎著「日本中世史」への言及がありました。
それは貝塚茂樹氏へのインタビューでした。
加藤】 それから原勝郎先生の『東山時代に於ける一縉紳の生活』、ああいう歴史学がありうるということは発見だった。
貝塚】 原先生は、帰納するばかりが歴史ではないと言っておられた。文章もうまかったですよ。
加藤】 あれは歴史書だけれども、やはり文学ですね。
貝塚】 『日本中世史』というのが最初に出された本です。原先生は『日本中世史』を出されて鎌倉時代からはじめられた。それにたいして内田銀蔵さんは、『日本近世史』からはじめられた。・・・原さんのほうはパッとやる。(p95~96)
そういえば、堀田善衛著「方丈記私記」の第二章に
「日本中世の乱世の底深さ、その災殃の激甚さ、本当に怖るべき実感というものは、たとえば原勝郎博士の名著『日本中世史』に見られるような・・・」
という箇所があるのでした。
うん。名著なら、ちゃんと読まなきゃと思いながら、ねっからの遅読のため、
とりあえず、パラパラめくり読みのでの一箇所引用。
そこは、「源氏の興隆は主として東国武人の力に依る」とあります。
「源氏の興隆せる所以は、上に述ぶるが如く、実に其武将等の自ら其勢力を覚りて活動せしが為ならずして、京師を羨み京師に不平を抱き京師に好遇せられずして、而かも其実力の駸々として加はり来りし東国の武人等が鼎(かなえ)の軽重を問ひ得て、其一たび京師の動かし難きにあらざることを知るに及びて、名家の将裔にして、曾て己等及び其祖先と縁故浅からざるものを奉じて事を発し、以て茲に至りしものなり。而して彼等武人の希(ねが)へるところは、必竟ずるに京師の抑制を免れむと欲するのみに存するなれば、事成るの後に及びて、其奉じたる武将を再び京師に帰へらしめて、之をして第二の平氏たらしめること是れ彼等の好むところにはあらず。故に頼朝は成功の後も遂に東国に留まらざる可らざる事となれるなり。」(p144~145・原勝郎著「日本中世史」東洋文庫)