1995年「ノーサイド」5月号をパラパラめくる楽しみ。
今回も楽しめましたので、その報告がてら。
すこし書き込みをしてみます。
狐さんが「清水幾太郎」を紹介しておりました。
そこでの狐さんは、清水幾太郎著「私の読書と人生」を取り上げております。
すこし引用。
「・・・世の読書論には書かれることがなくて、『私の読書と人生』に音を立てるほどに満ちているのは『焦燥』の気分である。」
「本を上品に丁寧に取り扱う作法を、清水幾太郎はもっていなかった。本は書き込みで憚るところなく汚して使うのが、この思想家の流儀の一つだった。」
狐さんの「清水幾太郎」紹介文の最後はというと、
「この『焦燥』こそが、本へと煽り、駆り立てる。魂の発条(バネ)というべきこの心性を忘れかけたとき、『私の読書と人生』を開くのは有効なことだ。少なくとも私はそう読んだ。」
う~ん。狐さんの紹介のページ下に、清水幾太郎氏が書斎の机でタバコを口にくわえた写真が掲載されておりました。今回気づいたのですが、その写真の左奥に、壁にそって置かれた黒い本棚のようなものがあります。本棚にしては奥行きがある。しかも上部が少し前に傾斜している。
ひょっとすると、これが「立ち机」じゃないのか?
と思ったのでした。
「清水幾太郎著作集19」(講談社)に「立ち机の効用」という2頁ほどの短文があります。そのはじまりは「約25年間、私はこれが欲しくて堪らなかった。初めて見たのは、1930年代の末、私が関係していた上智大学附設の修道院の、J・B・クラウスの部屋であった。細長い彼の部屋には、寝台と、少しの書物と、これとがあったように覚えている。」
そして、こうあったのでした。
「私は忽ちこれが欲しくなっていた。
私が欲しくなったのは、
そうとは気づかなかったものの、
何かを考える時、
部屋の中をウロウロと歩き廻る私の癖、
考えつくと、
考えが逃げ出すのを恐れて、
ソワソワとメモをとる私の癖、
少しでも気にかかる点に出会うと、
あの本、この本と、
それを本気で読むというのでなく、
忙しく開いてみる私の癖
・・そういう癖のある私にとって、
これは、恐らく
クラウスにとってより便利なものと感じられたのであろう。」
まさに、その立ち机が、
このタバコを口にくわえた清水幾太郎氏の写真。その雑然とした部屋の脇に置かれているのじゃないかと、今回はじめて気づいたというわけです。
ちなみに、清水氏の「立ち机の効用」には
「今年(昭和39年)の五月、桑沢デザイン研究所の鈴木寿美子さん・・彼女の専門が木工で・・作りましょう、と言う。・・・鈴木寿美子さんの作品には単純で機能的な近代性が力強く生きている。・・」とあります。その「単純で機能的な近代性」がある立ち机が、この写真の脇に写っているのじゃないか。と思えてきたのです。
そう思えば、この雑誌に掲載されている写真は、じつに一枚一枚が貴重なんだなあ。パラパラと写真集を見るようにめくれる。などと今になって、思えてくるのでした(笑)。
ところで、中公文庫にある
清水幾太郎著「私の文章作法」。その文庫解説は狐さんでした。
この文庫は、1995年9月印刷とあります。
そうなんだ。阪神大震災の年に、この文庫が出来ておりました。
ということは、解説は、阪神大震災のあとに、
書かれたのかもしれませんね。
それで、狐さんは解説のなかで
「たとえば関東大震災を初めて思想史のサイドに取り込んだ清水幾太郎の論文『日本人の自然観』が感動的なのは・・」
なんていう言葉が登場していたんだと、今頃になって気づくのでした。
う~ん。
清水幾太郎著「私の読書と人生」を、私は未読。
今回も楽しめましたので、その報告がてら。
すこし書き込みをしてみます。
狐さんが「清水幾太郎」を紹介しておりました。
そこでの狐さんは、清水幾太郎著「私の読書と人生」を取り上げております。
すこし引用。
「・・・世の読書論には書かれることがなくて、『私の読書と人生』に音を立てるほどに満ちているのは『焦燥』の気分である。」
「本を上品に丁寧に取り扱う作法を、清水幾太郎はもっていなかった。本は書き込みで憚るところなく汚して使うのが、この思想家の流儀の一つだった。」
狐さんの「清水幾太郎」紹介文の最後はというと、
「この『焦燥』こそが、本へと煽り、駆り立てる。魂の発条(バネ)というべきこの心性を忘れかけたとき、『私の読書と人生』を開くのは有効なことだ。少なくとも私はそう読んだ。」
う~ん。狐さんの紹介のページ下に、清水幾太郎氏が書斎の机でタバコを口にくわえた写真が掲載されておりました。今回気づいたのですが、その写真の左奥に、壁にそって置かれた黒い本棚のようなものがあります。本棚にしては奥行きがある。しかも上部が少し前に傾斜している。
ひょっとすると、これが「立ち机」じゃないのか?
と思ったのでした。
「清水幾太郎著作集19」(講談社)に「立ち机の効用」という2頁ほどの短文があります。そのはじまりは「約25年間、私はこれが欲しくて堪らなかった。初めて見たのは、1930年代の末、私が関係していた上智大学附設の修道院の、J・B・クラウスの部屋であった。細長い彼の部屋には、寝台と、少しの書物と、これとがあったように覚えている。」
そして、こうあったのでした。
「私は忽ちこれが欲しくなっていた。
私が欲しくなったのは、
そうとは気づかなかったものの、
何かを考える時、
部屋の中をウロウロと歩き廻る私の癖、
考えつくと、
考えが逃げ出すのを恐れて、
ソワソワとメモをとる私の癖、
少しでも気にかかる点に出会うと、
あの本、この本と、
それを本気で読むというのでなく、
忙しく開いてみる私の癖
・・そういう癖のある私にとって、
これは、恐らく
クラウスにとってより便利なものと感じられたのであろう。」
まさに、その立ち机が、
このタバコを口にくわえた清水幾太郎氏の写真。その雑然とした部屋の脇に置かれているのじゃないかと、今回はじめて気づいたというわけです。
ちなみに、清水氏の「立ち机の効用」には
「今年(昭和39年)の五月、桑沢デザイン研究所の鈴木寿美子さん・・彼女の専門が木工で・・作りましょう、と言う。・・・鈴木寿美子さんの作品には単純で機能的な近代性が力強く生きている。・・」とあります。その「単純で機能的な近代性」がある立ち机が、この写真の脇に写っているのじゃないか。と思えてきたのです。
そう思えば、この雑誌に掲載されている写真は、じつに一枚一枚が貴重なんだなあ。パラパラと写真集を見るようにめくれる。などと今になって、思えてくるのでした(笑)。
ところで、中公文庫にある
清水幾太郎著「私の文章作法」。その文庫解説は狐さんでした。
この文庫は、1995年9月印刷とあります。
そうなんだ。阪神大震災の年に、この文庫が出来ておりました。
ということは、解説は、阪神大震災のあとに、
書かれたのかもしれませんね。
それで、狐さんは解説のなかで
「たとえば関東大震災を初めて思想史のサイドに取り込んだ清水幾太郎の論文『日本人の自然観』が感動的なのは・・」
なんていう言葉が登場していたんだと、今頃になって気づくのでした。
う~ん。
清水幾太郎著「私の読書と人生」を、私は未読。