徳岡孝夫・中野翠著「泣ける話、笑える話」(文春新書)に
「詠みびと記者」と題する徳岡孝夫氏の文があるのでした。
これは、ちゃんと紹介しておかなくちゃ。
はじまりは、
「故人Mくんは吃音だった。俗にいうドモリである。・・・松江支局でくすぶっていたところを推す人がいて、大阪の社会部へ引き抜かれて来た。部会で自己紹介に立ったとき、自分の姓を冗談にして『どうです。ええ名前でっしゃろ』と笑うのを聞き、私は只者ではないぞと感じた。・・」
そのMくんは、というと
「学生時代の彼は開高健、谷沢永一らと『えんぴつ』の同人で、その同人誌を謄写版で刷っていた。お手の物である。」(p227)
そのMくんに教えられたことを、ひとつ引用してくれておりました。
ここは、孫引きしておかなければ。
「彼は、昭和天皇の『あかげら』の御製を『昭和時代の絶唱や。万葉集に入れても恥ずかしゅうない』と絶賛した。
あかげらの叩く音するあさまだき
音たえてさびしうつりしならむ
崩御の前の年の秋、那須の御用邸での作で、天皇さんの時世の一首と言ってもいい。人は老いれば目覚めが早くなる。床の中で、じっと森の音を聞いておられる。入江相政(すけまさ)をはじめ、幼いときからの親しい友は、みな世を去ってしまった。我もまた遠からず、あかげらのように移るのであろう。その寂寞、孤独が、帝王ならではの雄大なお気持ちの中で歌われている。大きい歌といえば私は源実朝の『箱根路をわが越えくれば伊豆の海や』くらいしか浮かばない。それとは別種の気高い大きさがあることを、Mに教えられて初めて知った。Mと私は、夜の更けるまでそういうことを電話で話し暮らした。・・・」
うん。さりげなくも、徳岡孝夫氏の交友の磁場からとりだされてくる、
こんなエピソード。
ちなみに、この新書のあとがきを、徳岡氏は、こうしめくくっておりました。
「読者は本書の中に心地よい躍動と倦怠を、代わりばんこに発見されるだろう。私が優位に立てるのは一つ、見てきた過去の長さだけである。いわば『過去への旅人』の拙い旅行記に過ぎない。」
願わくば、この旅行記が、またどこかで書きつづけられてゆきますように。
というのが、1ファンの思いでもあります。
「詠みびと記者」と題する徳岡孝夫氏の文があるのでした。
これは、ちゃんと紹介しておかなくちゃ。
はじまりは、
「故人Mくんは吃音だった。俗にいうドモリである。・・・松江支局でくすぶっていたところを推す人がいて、大阪の社会部へ引き抜かれて来た。部会で自己紹介に立ったとき、自分の姓を冗談にして『どうです。ええ名前でっしゃろ』と笑うのを聞き、私は只者ではないぞと感じた。・・」
そのMくんは、というと
「学生時代の彼は開高健、谷沢永一らと『えんぴつ』の同人で、その同人誌を謄写版で刷っていた。お手の物である。」(p227)
そのMくんに教えられたことを、ひとつ引用してくれておりました。
ここは、孫引きしておかなければ。
「彼は、昭和天皇の『あかげら』の御製を『昭和時代の絶唱や。万葉集に入れても恥ずかしゅうない』と絶賛した。
あかげらの叩く音するあさまだき
音たえてさびしうつりしならむ
崩御の前の年の秋、那須の御用邸での作で、天皇さんの時世の一首と言ってもいい。人は老いれば目覚めが早くなる。床の中で、じっと森の音を聞いておられる。入江相政(すけまさ)をはじめ、幼いときからの親しい友は、みな世を去ってしまった。我もまた遠からず、あかげらのように移るのであろう。その寂寞、孤独が、帝王ならではの雄大なお気持ちの中で歌われている。大きい歌といえば私は源実朝の『箱根路をわが越えくれば伊豆の海や』くらいしか浮かばない。それとは別種の気高い大きさがあることを、Mに教えられて初めて知った。Mと私は、夜の更けるまでそういうことを電話で話し暮らした。・・・」
うん。さりげなくも、徳岡孝夫氏の交友の磁場からとりだされてくる、
こんなエピソード。
ちなみに、この新書のあとがきを、徳岡氏は、こうしめくくっておりました。
「読者は本書の中に心地よい躍動と倦怠を、代わりばんこに発見されるだろう。私が優位に立てるのは一つ、見てきた過去の長さだけである。いわば『過去への旅人』の拙い旅行記に過ぎない。」
願わくば、この旅行記が、またどこかで書きつづけられてゆきますように。
というのが、1ファンの思いでもあります。