丸谷才一・池澤夏樹編「怖い本と楽しい本 毎日新聞『今週の本棚』20年名作選 1998~2004」(毎日新聞社)は、定価3500円+税で、けっこう、お高い。全3巻の2巻目。3冊揃えば一万円超えちゃう。
うん。けれども、私は買いました。
買ってよかったと思います。
いずれ、どなたかが
「『今週の本棚』は僕の学校だった」という本を書かれて、
それを読める日が来るのを、楽しみに待ちたいと思います。
何をいっているのやら(笑)。
さてっと、
この第2巻目の最初に
池澤夏樹氏が6ページほどの文を載せており、
うん。何度でも読み直してみたい、
と思わせる文になっておりました。
ということで、その最初を引用。
「何年も前のことだが、その頃住んでいた沖縄の家の近くに照喜名(てるきな)商店という店があった。・・・・お小遣いを持った子供たちが店頭で駄菓子の中から何を買おうかと迷っている。それを見ながら初老の店主がぽつりと言う――『迷うのが喜び』。
この箴言めいた言葉をしばしば思い出す。
書評の第一歩はまずもって迷う喜びだ。・・・」
こんな風にはじまっているのでした。
このあとに、本題になるのですが、
そこは、はぶいて(笑)。
最後の方をすこし引用してみます。
「その一方で、もっと安直な楽しい基準もある。
書評として、一片の読み物として、うまいということだけでもいいのだ。書評とは話題を新刊の本ということに限定した一種のコラムである。・・・文章がうまくて、粋で、構成にも工夫があって、ユーモアがある。芸達者な書評者たちのその芸を見せたいと思う・・・」
そういえば、パラパラとめくっていると、
2001(平成13)年の向井敏の書評が掲載されておりました。
とりあげられた本は、丸谷才一編著『ロンドンで本を読む』(マガジンハウス)。
そこに、
「丸谷才一は・・こんな箴言(?)まで工夫した。
『書評は読者を本屋まで走らせなければならない』」
うん。『今週の本棚』が、どれほどの読者を本屋まで走らせたのだろう?
それはそれとして、
2001年「書評者が選ぶ『この3冊』」に
左近司祥子(学習院大学教授・哲学)さんが3冊並べた最初に
『ロンドンで本を読む』をもってきて、こうはじめておりました。
「大人不足である。なにが起きても動じない風格ある大人が減った。これは読書の衰退と関係がある。読書とは本の中の異世界とこの世の間を行き来することだ。この行き来は私達に危機からの生還の自信と大人の落ち着きを与えてくれるのだ。・・・丸谷氏の『薔薇の名前』からマドンナの写真集まで広く書評を集めそれに短評を添えた本は、大人の中の大人は氏だと示すものである。書評こそ行き来を自覚的に行う大人の作業だからだ。」(p221)
うん。こうして書評本としてまとまると、
丸谷氏への賛辞も、すんなりと、飲み込めます。
これら書評の広場は、ひとえに丸谷氏に負っておりました。
うん。読者を本屋まで走らせたかどうか。
その書評を読み、私は、迷う喜びにひたりながら、
走ったことがありました
(今では、感嘆・簡単ネット注文というわけです)。
うん。読む読まないは別にして、
とにかく手に入れたくなる(笑)。
さ~て、これからの書評はどうなってゆくのでしょうか?
うん。けれども、私は買いました。
買ってよかったと思います。
いずれ、どなたかが
「『今週の本棚』は僕の学校だった」という本を書かれて、
それを読める日が来るのを、楽しみに待ちたいと思います。
何をいっているのやら(笑)。
さてっと、
この第2巻目の最初に
池澤夏樹氏が6ページほどの文を載せており、
うん。何度でも読み直してみたい、
と思わせる文になっておりました。
ということで、その最初を引用。
「何年も前のことだが、その頃住んでいた沖縄の家の近くに照喜名(てるきな)商店という店があった。・・・・お小遣いを持った子供たちが店頭で駄菓子の中から何を買おうかと迷っている。それを見ながら初老の店主がぽつりと言う――『迷うのが喜び』。
この箴言めいた言葉をしばしば思い出す。
書評の第一歩はまずもって迷う喜びだ。・・・」
こんな風にはじまっているのでした。
このあとに、本題になるのですが、
そこは、はぶいて(笑)。
最後の方をすこし引用してみます。
「その一方で、もっと安直な楽しい基準もある。
書評として、一片の読み物として、うまいということだけでもいいのだ。書評とは話題を新刊の本ということに限定した一種のコラムである。・・・文章がうまくて、粋で、構成にも工夫があって、ユーモアがある。芸達者な書評者たちのその芸を見せたいと思う・・・」
そういえば、パラパラとめくっていると、
2001(平成13)年の向井敏の書評が掲載されておりました。
とりあげられた本は、丸谷才一編著『ロンドンで本を読む』(マガジンハウス)。
そこに、
「丸谷才一は・・こんな箴言(?)まで工夫した。
『書評は読者を本屋まで走らせなければならない』」
うん。『今週の本棚』が、どれほどの読者を本屋まで走らせたのだろう?
それはそれとして、
2001年「書評者が選ぶ『この3冊』」に
左近司祥子(学習院大学教授・哲学)さんが3冊並べた最初に
『ロンドンで本を読む』をもってきて、こうはじめておりました。
「大人不足である。なにが起きても動じない風格ある大人が減った。これは読書の衰退と関係がある。読書とは本の中の異世界とこの世の間を行き来することだ。この行き来は私達に危機からの生還の自信と大人の落ち着きを与えてくれるのだ。・・・丸谷氏の『薔薇の名前』からマドンナの写真集まで広く書評を集めそれに短評を添えた本は、大人の中の大人は氏だと示すものである。書評こそ行き来を自覚的に行う大人の作業だからだ。」(p221)
うん。こうして書評本としてまとまると、
丸谷氏への賛辞も、すんなりと、飲み込めます。
これら書評の広場は、ひとえに丸谷氏に負っておりました。
うん。読者を本屋まで走らせたかどうか。
その書評を読み、私は、迷う喜びにひたりながら、
走ったことがありました
(今では、感嘆・簡単ネット注文というわけです)。
うん。読む読まないは別にして、
とにかく手に入れたくなる(笑)。
さ~て、これからの書評はどうなってゆくのでしょうか?