ルーターが新しくなって、
昨日、パソコンの無線ランを試していたら、
障害物があるせいか、
そんなには、とどかなくて、6~8メートルくらい。
のろのろと、時間をとってしまう。
デスクトップパソコンを、あちこち移動して、
居心地をたしかめながら昨日は終り(笑)。
とりあえず、このブログ書き込みのパソコンの位置を
秋仕様に移動完了。
この秋、本が読めますように。
ところで、
『なぞ謎』
ということで3冊。
中西輝政著「日本人として知っておきたい外交の授業」(PHP)
岡康道・小田嶋隆対談「ガラパゴスでいいじゃない」(講談社)
竹内洋著「メディアと知識人」(中央公論新社)
小田嶋隆と岡康道との対談本「ガラパゴスでいいじゃない」は2010年8月第一刷とあります。
岡康道氏は昭和31(1956)年生まれ。クリエーティブ・ディレクター。CMプランナー。学生時代に父親の会社が倒産したのだそうです。この本のあとがきを岡氏は、こうはじめておりました。
「父親の最後の言葉は『日本のグローバリゼーションはダメだ。我々は、もっと日本を愛さなくては』というものだった。最後までフザケているのか本気なのか分からない人だった。2年前のことだ。父のことは謎だらけだが・・・・」
どうして、岡さんは、あとがきをこうはじめていたのだろうなあ。
この「謎」とは、なんだろう。
さてっと、中西輝政著「日本人として知っておきたい外交の授業」。
この第一講だけでも、目を通しておけば、まずはOK。
でも、スラスラと最後までよめてしまいます。
帯には「松下政経塾の白熱授業を完全収録」とあります。
そのなかに、こんな箇所
「私は四十歳になるかならないかの頃、冷戦の終結にぶつかり、刺激を受けて世界中を歩き回って、多くの国々を視察しました。世界の五大陸を毎年ほぼすべて、南米の隅まで訪れました。そこで世界で大変化が始まる様子をまざまざと目にし、日本の現状に危機感を覚えました。それは、グローバル化は必然的に国家の重要性を再び大きく浮上させることになる、ということでした。あの時期に日本人は、国家というものについて深く捉えておくべきだったと思います。しかし当時、(そして今日も)日本人の多くは、グローバル化する世界では国家の役割は大きく減退するはず、というまったく誤った見方をしていました。そんな見方を真面目にしていたのは、世界広しといえども日本人だけでした。バブル経済の栄華がもたらした最も恐ろしい帰結は、日本人が内向きの平和志向になり、国際情勢の大きな視野を完全に失ってしまったことです。・・・・」(第一講。p32)
ちなみに、中西輝政氏は昭和22年(1947)生まれ。
そして、竹内洋氏は昭和17年(1942)生まれ。
竹内洋著「メディアと知識人」の副題は
「清水幾太郎の覇権と忘却」。
帯に「読売・吉野作造賞受賞後第一作」とあります。
よみやすそうなので、
ドナルド・キーン著「正岡子規」をあとまわしにして
まずは、こちらから読んでみたいと思います。
その序章に「清水幾太郎著作集19」から
「若き読書子に告ぐ」を引用している箇所がありました。
そこを、あらためて引用。
「・・・清水の謎にも迫りたい。謎というのは清水が死の五ヶ月ほど前に書いた『若き読書子に告ぐ』のつぎのような言明である。
私の場合と同じように、所詮、諸君にとっての未来も深い闇であり、その前に立って、諸君は孤独な決断を迫られるであろう。その時、今日と同様、予言者の如く振舞う人々が多く現れるであろうが、彼らの言葉を信じるべきではない。ただ頼るべきは、先人の遺した文字と諸君自らの思考とである。私は、そういう先人に敢えて自分を加えるほど不遜ではないけれども、私の綴った文字の一つでもよい、二つでもよい、或る瞬間、何か諸君のお役に立てば、というのが私の謙虚な期待である。 」(p31~32)
とにかくも、謎と謎とにひく補助線。
昨日、パソコンの無線ランを試していたら、
障害物があるせいか、
そんなには、とどかなくて、6~8メートルくらい。
のろのろと、時間をとってしまう。
デスクトップパソコンを、あちこち移動して、
居心地をたしかめながら昨日は終り(笑)。
とりあえず、このブログ書き込みのパソコンの位置を
秋仕様に移動完了。
この秋、本が読めますように。
ところで、
『なぞ謎』
ということで3冊。
中西輝政著「日本人として知っておきたい外交の授業」(PHP)
岡康道・小田嶋隆対談「ガラパゴスでいいじゃない」(講談社)
竹内洋著「メディアと知識人」(中央公論新社)
小田嶋隆と岡康道との対談本「ガラパゴスでいいじゃない」は2010年8月第一刷とあります。
岡康道氏は昭和31(1956)年生まれ。クリエーティブ・ディレクター。CMプランナー。学生時代に父親の会社が倒産したのだそうです。この本のあとがきを岡氏は、こうはじめておりました。
「父親の最後の言葉は『日本のグローバリゼーションはダメだ。我々は、もっと日本を愛さなくては』というものだった。最後までフザケているのか本気なのか分からない人だった。2年前のことだ。父のことは謎だらけだが・・・・」
どうして、岡さんは、あとがきをこうはじめていたのだろうなあ。
この「謎」とは、なんだろう。
さてっと、中西輝政著「日本人として知っておきたい外交の授業」。
この第一講だけでも、目を通しておけば、まずはOK。
でも、スラスラと最後までよめてしまいます。
帯には「松下政経塾の白熱授業を完全収録」とあります。
そのなかに、こんな箇所
「私は四十歳になるかならないかの頃、冷戦の終結にぶつかり、刺激を受けて世界中を歩き回って、多くの国々を視察しました。世界の五大陸を毎年ほぼすべて、南米の隅まで訪れました。そこで世界で大変化が始まる様子をまざまざと目にし、日本の現状に危機感を覚えました。それは、グローバル化は必然的に国家の重要性を再び大きく浮上させることになる、ということでした。あの時期に日本人は、国家というものについて深く捉えておくべきだったと思います。しかし当時、(そして今日も)日本人の多くは、グローバル化する世界では国家の役割は大きく減退するはず、というまったく誤った見方をしていました。そんな見方を真面目にしていたのは、世界広しといえども日本人だけでした。バブル経済の栄華がもたらした最も恐ろしい帰結は、日本人が内向きの平和志向になり、国際情勢の大きな視野を完全に失ってしまったことです。・・・・」(第一講。p32)
ちなみに、中西輝政氏は昭和22年(1947)生まれ。
そして、竹内洋氏は昭和17年(1942)生まれ。
竹内洋著「メディアと知識人」の副題は
「清水幾太郎の覇権と忘却」。
帯に「読売・吉野作造賞受賞後第一作」とあります。
よみやすそうなので、
ドナルド・キーン著「正岡子規」をあとまわしにして
まずは、こちらから読んでみたいと思います。
その序章に「清水幾太郎著作集19」から
「若き読書子に告ぐ」を引用している箇所がありました。
そこを、あらためて引用。
「・・・清水の謎にも迫りたい。謎というのは清水が死の五ヶ月ほど前に書いた『若き読書子に告ぐ』のつぎのような言明である。
私の場合と同じように、所詮、諸君にとっての未来も深い闇であり、その前に立って、諸君は孤独な決断を迫られるであろう。その時、今日と同様、予言者の如く振舞う人々が多く現れるであろうが、彼らの言葉を信じるべきではない。ただ頼るべきは、先人の遺した文字と諸君自らの思考とである。私は、そういう先人に敢えて自分を加えるほど不遜ではないけれども、私の綴った文字の一つでもよい、二つでもよい、或る瞬間、何か諸君のお役に立てば、というのが私の謙虚な期待である。 」(p31~32)
とにかくも、謎と謎とにひく補助線。