曽野綾子著「人間関係」(新潮新書)の最後でした。
「・・先日、日本で金美齢さんにお会いした。すると最近の若い世代は、将来何になりたいか、という質問に対して、『セレブになりたい』と答えるのだという。
・・・・バフェット氏を見ても、現実に手で対象を触る人だけがほんとうの仕事をする。触った時にざらざらか、冷たくて手袋が欲しいか、それとも火傷するか、その体験がある人だけが、人生でしっかりした足がかりを作るだろう。・・」(p186~188)
ここに登場している金美齢さんといえば、
曽野綾子・金美齢対談「この世の偽善」(PHP)のことなのでしょうね。
対談では、金さんの次の言葉からはじまっておりました。
「『現在の日本人は、本質的に優秀な人びとなのに、見るも無残な幼児性に冒されている』と曽野さんが2013年の元日付『産経新聞』 にお書きになったのを読んで、思わず『同感!』と膝を打ちました(「年頭にあたり、幼児性と画一性脱し強い国家に」)・・・」
さてっと、産経の古新聞は、とってある。というか、そのままに置いてある。元旦の新聞をさがして、もうすっかり忘れているので読み直してみることに。
ところで、今日発売の「オール読物」。
文藝春秋九十周年特別編集とあり、
「作家の手紙」の特集なのでさっそく手にしました。
そこに山本一力氏が
曽野綾子氏の封書について書いてる。
「六十五歳のいまだ、親友Oと深く交わって・・すでに二十年以上も前のことだが。・・毎週一度、読了したばかりの新刊本をOと仕事帰りの喫茶店で批評しあった。ある夕、Oが曽野綾子さんの話を始めた。『彼女は神様に愛されている作家だ』こう切りだしたのは、Oもわたしもキリスト教(新教)だったこともある。Oはまことに敬虔なクリスチャンで・・・Oの勧めがきっかけで、わたしも曽野さんの随筆を読み始めた。そしてたちまち、正鵠を射た内容に搦め捕られた。『今週は凄いぞ』わたしからOに切り出した随筆は、講演料に関する一文だった。・・わたしの話を聞き終えたOは、得たりの表情になった。『彼女は信念に照らして正しいと思えば、返り血を浴びるのもいとわないんだよなあ』Oの目には深い尊敬の色が宿されていた。ときが過ぎるなかでも、曽野さんの随筆は週刊誌、月刊誌、全国紙と読み続けてきた。・・・」(p164~165)
おっと、このあとに曽野さんからの封書の話がひかえているのですが、ここまで(笑)。
「・・先日、日本で金美齢さんにお会いした。すると最近の若い世代は、将来何になりたいか、という質問に対して、『セレブになりたい』と答えるのだという。
・・・・バフェット氏を見ても、現実に手で対象を触る人だけがほんとうの仕事をする。触った時にざらざらか、冷たくて手袋が欲しいか、それとも火傷するか、その体験がある人だけが、人生でしっかりした足がかりを作るだろう。・・」(p186~188)
ここに登場している金美齢さんといえば、
曽野綾子・金美齢対談「この世の偽善」(PHP)のことなのでしょうね。
対談では、金さんの次の言葉からはじまっておりました。
「『現在の日本人は、本質的に優秀な人びとなのに、見るも無残な幼児性に冒されている』と曽野さんが2013年の元日付『産経新聞』 にお書きになったのを読んで、思わず『同感!』と膝を打ちました(「年頭にあたり、幼児性と画一性脱し強い国家に」)・・・」
さてっと、産経の古新聞は、とってある。というか、そのままに置いてある。元旦の新聞をさがして、もうすっかり忘れているので読み直してみることに。
ところで、今日発売の「オール読物」。
文藝春秋九十周年特別編集とあり、
「作家の手紙」の特集なのでさっそく手にしました。
そこに山本一力氏が
曽野綾子氏の封書について書いてる。
「六十五歳のいまだ、親友Oと深く交わって・・すでに二十年以上も前のことだが。・・毎週一度、読了したばかりの新刊本をOと仕事帰りの喫茶店で批評しあった。ある夕、Oが曽野綾子さんの話を始めた。『彼女は神様に愛されている作家だ』こう切りだしたのは、Oもわたしもキリスト教(新教)だったこともある。Oはまことに敬虔なクリスチャンで・・・Oの勧めがきっかけで、わたしも曽野さんの随筆を読み始めた。そしてたちまち、正鵠を射た内容に搦め捕られた。『今週は凄いぞ』わたしからOに切り出した随筆は、講演料に関する一文だった。・・わたしの話を聞き終えたOは、得たりの表情になった。『彼女は信念に照らして正しいと思えば、返り血を浴びるのもいとわないんだよなあ』Oの目には深い尊敬の色が宿されていた。ときが過ぎるなかでも、曽野さんの随筆は週刊誌、月刊誌、全国紙と読み続けてきた。・・・」(p164~165)
おっと、このあとに曽野さんからの封書の話がひかえているのですが、ここまで(笑)。