鹿島茂著「『悪知恵』のすすめ」(清流出版)
副題は「ラ・フォンテーヌの寓話に学ぶ処世訓」とあります。
パラパラとめくると、なんとも、
これが面白そうなのです。
うん。スラスラと読め楽しめます。
ひとつだけ引用。
「最も恐るべき敵は、ときに最も矮小な敵である」
と題して「ライオンに勝利したブヨ」の寓話を紹介したあとに
「では、この寓話から、われわれはどんな教訓を引き出したらいいのか?ラ・フォンテーヌ先生は言う。教訓は二つある。
一つは、最も恐るべき敵は、ときとして最も矮小(わいしょう)な敵である、ということ。もう一つは、大きな危険を免れることができた者がつまらぬことで身を滅ぼすことがある、ということ。 」
こうして、鹿島茂氏は、最後をどうしめくくっているかというと
「この教訓は大切だ。
たとえば、日本とアメリカである。
日本を完膚なきまでに叩きのめしたと思いこんだアメリカは、日本をブヨ扱いにして、哀れみから物欲資本主義の方法を貸し与えた・・・1990年のバブル崩壊まで、日本の改良型物欲資本主義というブヨは確実にアメリカというライオンを衰弱させ、敗戦による屈辱をある程度は雪(すす)いだのだ。
だが、その改良型資本主義も少子高齢化という『つまらぬこと』で身を滅ぼすことになる。内需拡大のスローガンのもと、『面倒くさいことは嫌いだ』という日本人の安易な精神をくすぐり、面倒くさいことはしなくていいよ、その代行をしてやるからと囁き続けたため、日本人は見事に面倒回避主義のドツボにはまりこんだのだ。
すなわち、日本人は、結婚、出産、子育てという最も面倒くさいことをいちばんに嫌い、独身で自分の好きなモノを買い続ける生活を選んだ結果、少子高齢化というクモの糸を招き寄せてしまったのである。
ブヨはライオンに勝ったが、調子に乗りすぎたため自滅した。成功が失敗の原因。よくあることである。」(p72~73)
副題は「ラ・フォンテーヌの寓話に学ぶ処世訓」とあります。
パラパラとめくると、なんとも、
これが面白そうなのです。
うん。スラスラと読め楽しめます。
ひとつだけ引用。
「最も恐るべき敵は、ときに最も矮小な敵である」
と題して「ライオンに勝利したブヨ」の寓話を紹介したあとに
「では、この寓話から、われわれはどんな教訓を引き出したらいいのか?ラ・フォンテーヌ先生は言う。教訓は二つある。
一つは、最も恐るべき敵は、ときとして最も矮小(わいしょう)な敵である、ということ。もう一つは、大きな危険を免れることができた者がつまらぬことで身を滅ぼすことがある、ということ。 」
こうして、鹿島茂氏は、最後をどうしめくくっているかというと
「この教訓は大切だ。
たとえば、日本とアメリカである。
日本を完膚なきまでに叩きのめしたと思いこんだアメリカは、日本をブヨ扱いにして、哀れみから物欲資本主義の方法を貸し与えた・・・1990年のバブル崩壊まで、日本の改良型物欲資本主義というブヨは確実にアメリカというライオンを衰弱させ、敗戦による屈辱をある程度は雪(すす)いだのだ。
だが、その改良型資本主義も少子高齢化という『つまらぬこと』で身を滅ぼすことになる。内需拡大のスローガンのもと、『面倒くさいことは嫌いだ』という日本人の安易な精神をくすぐり、面倒くさいことはしなくていいよ、その代行をしてやるからと囁き続けたため、日本人は見事に面倒回避主義のドツボにはまりこんだのだ。
すなわち、日本人は、結婚、出産、子育てという最も面倒くさいことをいちばんに嫌い、独身で自分の好きなモノを買い続ける生活を選んだ結果、少子高齢化というクモの糸を招き寄せてしまったのである。
ブヨはライオンに勝ったが、調子に乗りすぎたため自滅した。成功が失敗の原因。よくあることである。」(p72~73)