和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

高い杉の木の上に。

2013-04-23 | 短文紹介
いとうせいこう著「想像ラジオ」(河出書房新社)を読む。
5章まであり。1章と3章と5章がラジオの発信者の語り。
2章と4章とが、その噂ばかり聞くのに、
どうしても「想像ラジオ」を聞けない受信者の話。

たとえば、第1章には

「それがこんなことになっちゃった。高い杉の木の上に引っかかって、そこからラジオ放送始めるはめになった。思いもよらない事態ですよ。いまだに狐につままれたみたいな気分で、お互いわけわかんないですよね。杉の木?引っかかるってなんだよ、的な。」(p12)

いっぽう、第4章には

「ザグレブ市? それ、どこだっけ?」
「クロアチアの首都」
 ・・・・
「そのザグレブの中心部にある政治の施設の庭に糸杉の木があって、今年の夏、その木の上に夜ごとたくさんの人の青い魂があらわれるって噂をそのブログの主は聞いたって言うの。・・・・」(p116~117)


想ー像ーラジオー。

定本柳田國男集第21巻をひらいていると、
「火の昔」の中の「盆の火」という文が思い浮かぶのでした。

「詳しいことはまだ判って居りませんが、我々日本人の御先祖の霊が、毎年日を定めて高い所から、来られるといふ信仰を持って居たやうであります。それ故に送る時はとにかく、迎へる時はきまって高い所に道案内の火、つまりは航海の灯台のやうなあかりを上げようとする習慣が古くからあったわけです。・・・・しかしこの風は今日ではもう田舎にしかありません。私は大正九年の盆の頃、ちやうど流行感冒のはやったあとで、東北の海岸地方をあるいたことがありますが、どの村もどの村も、この灯籠の柱が数多く並んで立って居るのを峠の上から見て、非常に淋しく感じました。昼間はこの柱の先に白い布を、空から降りて来る人たちの目じるしに下げておいて、夜はそれを燈籠のあかりと取りかえることにして居るのであります。」

もうひとつは、
「村と学童」の中の「祭礼と幟」のはじまり

「幟(のぼり)は夏の初め秋のなかば、村に入って行く者の気づかずには居られない、最もさはやかな快い印象を与えるよい見ものであるが、これを祭の日に立てるようになった起りは、まだ考えて見た人が無いらしい。・・・・」


気になったのは、
いとうせいこう著「想像ラジオ」の最後に
参考文献として2冊をあげていたことでした。

東北農山漁村文化協会・編「みちのくの民話」(未来社)
大橋俊雄・校注「一遍上人語録」(岩波文庫)

う~ん。一遍上人語録がどう関係するのか?
たしか、本文には、それらしき引用箇所はなかったはずなのに。
コメント
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