本を読まないので、本棚を整理。そういえば、
織田正吉著「百人一首の謎」(講談社現代新書)があった。
その「あとがき」を引用。
「日本の詩歌はもともと言語遊戯性を色濃く持っている。
和歌、連歌はエスプリを詩歌の形で表現するものであった。
和歌にはみやびなものと言語遊戯としての笑いが同居し、
時代が下るとともに和歌と狂歌に分類される。
連歌は正風の連歌と誹諧の連歌に、
俳諧はまた俳句と川柳に分類される。
俳諧は誹諧が表記を変えたものだが、
誹諧はもともとおかしみという意味である。
同じ文芸形態で笑いのあるものとないものとに
分けるのが日本の文芸の大きな特色である。
そういうことを見ている過程で関わったのが
『百人一首』であった。
定家には言語遊戯として詠まれた歌が多い。」(p190)
織田正吉著「百人一首の謎」(講談社現代新書)があった。
その「あとがき」を引用。
「日本の詩歌はもともと言語遊戯性を色濃く持っている。
和歌、連歌はエスプリを詩歌の形で表現するものであった。
和歌にはみやびなものと言語遊戯としての笑いが同居し、
時代が下るとともに和歌と狂歌に分類される。
連歌は正風の連歌と誹諧の連歌に、
俳諧はまた俳句と川柳に分類される。
俳諧は誹諧が表記を変えたものだが、
誹諧はもともとおかしみという意味である。
同じ文芸形態で笑いのあるものとないものとに
分けるのが日本の文芸の大きな特色である。
そういうことを見ている過程で関わったのが
『百人一首』であった。
定家には言語遊戯として詠まれた歌が多い。」(p190)